母親は幼い俺にしょうもない嘘をついてからかうのが好きだったから、幼い俺はクリスマスツリーは松の木でできていると思っていたし、交番の前を通るときは背筋を伸ばして歩かないと捕まると思っていた。今も一緒に出かけた先で交番を見かけると、母親はにやにやしながら俺の方をちらちら見てくる。高校生にもなってまだ信じてると思うなよ。
ほかにも、昔中華街を歩いていたら急にタキシードを着た美少年がスタントを始めたとか、たい焼きの皮には鯛のすり身が練りこまれてるとか、いちいちいいリアクションを返す幼い俺に母は嬉々としてあれやこれやと吹き込んでいた。
「あら、あんた昔このひとと会ったことあるのよ、覚えてる?」
日曜の遅い朝食を食べながら母親が指さした先のテレビには、最近CMとかでよく見る現代のきれいなお姉さん代表みたいな芸能人が映っていた。まったく覚えていない。というか、この母はまた息をするように嘘をつこうとしているな。
「いつものホラでしょそれ。そういうの、今まで何回騙されたと思ってんの」
「本当よお、5歳くらいの時だったかな? 手つないで歩いてたのに、買い物してる間にあんたが一人でどっか行っちゃって。慌てて探したら、その時の母さんとおんなじ色のスカート穿いてたお姉さんの手、すました顔で握ってたのよ」
ぐぇ、と喉の奥で小さく変なうめき声が鳴る。思春期の息子にそういう小さい頃の恥ずかしいエピソードを披露しないでくれ。自分がいたたまれなくなるだろうが。
「百歩譲って俺の行動が本当だとして……間違えた先がたまたま芸能人だったとか、偶然として出来過ぎでしょ……」
平静を装って返してはみるものの、絶対この母親面白がってるな。
「母さんもその時は「やだ~すみません~!」って謝るので頭いっぱいだったから気づかなかったんだけどね。すっごく優しい人で、「全然大丈夫ですよ、かわいい息子さんですね」って言ってくれてね。あんたにも手振ってくれて、しゃべり方が印象的だったからよく覚えてたのよ。そしたらその日の夜のテレビに出てるんだもん、びっくりしちゃった。芸能人とファッションセンスが似てるなんて、母さんもなかなかやるわよね」
幼少期のかわいい人違いエピソード(たぶんここまでは事実)で俺を動揺させたうえで、さらに芸能人のきれいなお姉さんを意識させて内心で大笑いする気だ。さんざんからかわれてきた俺にはわかるぞ。騙されないからな。
「その顔は信じてないわね、疑り深い息子に育っちゃって母さん悲しい……」
「誰のおかげだと思ってる??」
食べ終わった朝食の皿を流しに持っていきながら、泣きまねをする母親にツッコミを入れる。なんだかんだ仲は良い。
『それでは次は、”桑山千雪のオチのない話”のコーナー! 今日も世間話を聞くような、の~んびりした気持ちで聞いてくださいね。』
テレビでは日曜昼らしい平和なBGMで、平和なコーナーが始まった。やっぱりこんなに美人な売れっ子と偶然会うとか嘘すぎる。
『私がまだデビューしたての頃のお話なんですけど、横断歩道の信号待ちをしていたら小さい男の子にぎゅっと手を握られたことがあって。どうしたんだろうって思って追いかけてきたお母さんの方を見たら、お母さんと私がおんなじスカートを穿いてたから間違えちゃったみたいで。すっごくかわいくないですか?』
「は?」
テレビを凝視して、それから母親の顔を見た。
……死ぬほどドヤ顔をしていた。
『もうずっと前のお話なので、あの時の男の子も中学生とか高校生になってると思うんですけど……お~い、見てるかな? あの時のお姉さんだよ~』
『今たまたまこの番組見とるってどんな運命やねん! 少年、ほんまに見とったら番組に連絡よこしてくださいね!』
お笑い芸人がゆるくトークを締めて、スタジオに軽い笑いが起きる。本当にオチのない、短いコーナーだった。
「どうする? 番組にメール送る?」
今までで一番うれしそうな顔をした母親がスマホを構えてこっちを見てくる。
「…………いや、いい……」
いろんな種類の恥ずかしさがいっぺんに押し寄せて、顔を背けてリビングを出る。図書館に行くふりをして自転車で家を飛び出して、誰もいない河川敷で大声で叫びたい気分だった。