アイドル現場レポ日記

いろんなオタクのレポ置き場

まどかと円香

鏡を見るたびに顔がかわいくなさすぎる。常に眠そうなまぶた、短いまつ毛、小さくて低い鼻、血色の悪い頬、バランスの悪い大きい頭蓋骨。自分の顔が嫌いすぎて鏡を直視できない。

他のひとは自分をもっとかわいく見せるためにメイクをしているのに、わたしだけマイナスをゼロにするためにメイクをしている。どんなコンプレックス克服メイク動画を真似しても、動画と同じ仕上がりになったことなんてない。大嫌いなすっぴんを我慢して凝視しながらどれほどがんばっても、必死でいびつに取り繕った嫌いな顔ができあがるだけ。

それでもメイクするのをやめないのは外を歩くための免罪符がほしいからだし、街でかわいい女の子たちとすれ違う時は心の中で何かに謝りながらうつむいて歩く。わたしには顔2005の子みたいに整形を決意する勇気もない。

誰かに面と向かってかわいくないと言われたことがあるわけでもないのにずっと自分の顔が好きじゃないのはわたしが卑屈だからで、わたしがかわいくなくてもみんな案外普通に接してくれることはさんざん経験してわかっているのに、ずっと自分のかわいくなさに囚われている。ネイルも華やかな服も香水もかわいいひとの特権のような気がして手を出せない。挑戦して似合わなかったときに傷つく方が怖い。

 

4限が終わって、駅ビルのロフトに行く。赤系の、あまりゴテゴテしていないレターセットが欲しい。円香ちゃんへファンレターを書いているときは、自分の顔のことなんか忘れられる。最初は円香ちゃんがテレビに出ていた時、自分の名前が呼ばれたのかと思ってびっくりしたんだった。同じまどかって名前でもこんなに違うんだってくらいきれいで、冷たそうだけどノクチルのメンバーといるときはちょっとお茶目で、それまでよくわからなかった推しって概念が理解できるようになった。

一年くらい前、初めて送ったファンレターには、わたしもまどかという名前であることも書いた。特に好きでもなかった名前だったけど、円香ちゃんと同じであることはうれしかったし、円香ちゃんも同じ名前のファンがいるんだなって思ってくれないかなという期待もあった。ファンレターなんて山ほどもらうだろうに浅はかな期待、と卑屈な部分のわたしが言ったけど、手紙の上なら顔面が必要ないから少し強気でいられた。

新しく買った便箋には、この前のFNS歌謡祭でのカバーがすごくよかったこととか、円香ちゃんがアンバサダーをやったネイルポリッシュを買ったけど使えていないこととかを書いた。顔がこんななのに、爪にあんな深くて大人っぽい赤色を塗る度胸なんてない。書きながらなんとなく、円香ちゃんがきれいならもうそれで何もかもいいような気もした。わたしの顔はどうがんばってもわたしの顔で、何をしても好きになれそうにないから、同じ名前の円香ちゃんを応援することだけがわたしの人生でもよくないかな。こんな投げやりなことを書いてもいいのか迷ったけど、つい寝る前の勢いで封をしてしまって、赤いバラのイラストの切手を貼ってポストに放り込んだ。

 

Gmailのアプリを開いたら見覚えのないアドレスから【抽選結果のお知らせ】という件名のメールが来ていて、何か今当落待ちのライブあったっけ、と思って開いてみたら、そこには「この度はノクチルMV撮影エキストラにご応募いただきありがとうございました。厳正なる抽選の上、ご当選となりましたので、下記日時及び詳細をご確認いただき、当日は身分証及びファンクラブ会員証を忘れずにお持ちください。」の文面があった。

そうだ、新曲のMVにライブハウスのシーンがあって、観客役のエキストラをファンクラブから募集するという夢みたいな企画に応募していたんだった。演出的にエキストラは後ろ姿だけで顔は映さないって要項に書いてあったから、万が一当たっても大丈夫だと思っていたけど、本当に当たるなんて。倍率えぐそうだったのに…。

ドレスコード守秘義務、注意事項とメールに書いてあるすべてに何度も目を通して、今までで一番近くで円香ちゃんを見られるかもしれないことに半分ときめいて、半分死にたくなった。もし円香ちゃんに近づいたら、その分円香ちゃんからもわたしが見えてしまうということだ。これまでライブには行ってもお渡し会や握手会には絶対行かなかったのは、円香ちゃんに顔を見られたくなかったから。なにこの顔って円香ちゃんに思われたらどうしよう。円香ちゃんがそんなこと思うわけない。でも。

ぐだぐだ考えているうちに当日が来てしまった。小さなライブハウス然とした撮影スタジオに集まってくるほかのノクチルファンの女の子が全員めちゃくちゃかわいく見えて、またうつむく。発売前の新曲を先に聴けるせっかくの機会なのに、こんな顔である辛さが今もずっと首元にのしかかってくる。

撮影機材に囲まれた客席に通されると、新曲らしき聴いたことのない曲のインストがもう流れていて、まだ誰もいないステージを見るだけでライブの開演待ちと同じ気分になる。目立たないように後ろの壁際に陣取ったけど、それでも今までのどのライブよりもステージとの距離が近い。だけどこれはライブじゃないから、「メンバーさん入りまーす」というスタッフの一声だけで暗転もなくノクチルが全員ステージに揃う。ただ袖から歩いてきただけなのに空気がざわっと書き換えられて、客席から悲鳴が上がった。円香ちゃんはスンとした顔で軽く手を振っていた。あんまりにもきれいな本物だ。前の方にいるファンの子が「まどかー!」と呼んだのが聞こえて、わたしの中のまどかはもうあの美しい円香ちゃんだけでいい、という気持ちがまた湧いてくる。

ライブハウスのシーンはAメロからBメロで使用されること、タイトルは漏洩対策でこの場でも非公開であること、あとはまあ好きに盛り上がってくれればいいこと、とゆるくアナウンスが入って、メンバーの挨拶もそこそこに一回目の撮影が始まる。ファンが見ているとはいえ、目の前のファンを完全には意識しない円香ちゃんを見るのは初めてだった。ライブの時とはまた違う雰囲気なのはカメラに撮られるためのダンスだからなのかなとか、やっぱり無表情なわけじゃ全然ないんだよな、とか、円香ちゃんに釘付けになりながら考える。

同じAメロBメロをこんなに何回も撮るのか、と驚くくらい何度もキューとカットが入って、カットのたびにヘアメイクさんがノクチルのもとに駆け寄る。MVの最初から最後までずっと乱れないアイドルの前髪はこうやってできているんだ。きれいなものをきれいに保つことは、きれいじゃないものにきれいなふりをさせるよりずっと大事な行為だと思った。

円香ちゃんを目で追うのに夢中になっていたら最後のカットがかかって、これで撮影終了だと案内された。すごい体験だったな、当たってよかったな、と思って帰ろうとしたら、雛菜ちゃんが突然「みんなこのまま帰っちゃうの~? せっかく来たんだから雛菜たちと握手していけば~?」と客席に向かってMCを始めた。すっかり帰る雰囲気だったファンが全員元の位置に戻る。小糸ちゃんとマネージャーらしきスーツのひとが慌てて雛菜ちゃんを止めに入ったけど、一度言ったものを引っ込められるわけもなくておろおろしていた。

「いいじゃん、しようよ握手会」

「ギャラも出ないのに来てくださったんですし、それくらいいいのでは」

透ちゃんと円香ちゃんも雛菜ちゃん側についてしまって、困り果てたマネージャーさんが「か、会場に確認を取りますので少々お待ちください……!」とどこかへ消えていった。なんか、今まさにノクチルというユニットを見ているな、という気持ちになった。握手は怖いから先に帰ろうと思ったのに、周りを見渡したら誰一人会場を出て行かなくて、帰るに帰れない状況にいるのに気づいたのはそのあとだった。あれ、どうしよう、これ下手すると強制握手会になる?

「あまり時間は取れませんが、会場さんOKとのことですので退場の際に希望メンバーひとりと握手していただけます! 終わり次第早めのご退場にご協力をお願いいたします!」

歓声の上がる客席の隅で、わたしだけが絶望していた。今まで避け続けていた間近での接触がこんなかたちで襲ってくるなんて。円香ちゃんに顔を見られたくない。直接認識されたくない。手紙だけ送れればそれでよかったのに。

「樋口円香との握手希望の方はこちらの列です!」

誰かの列に並ばないと出られないならそれは円香ちゃん以外ありえなくて、円香ちゃんと話せる、円香ちゃんを近くで見れる、でも、わたしのこんな顔を見てほしくない、と矢印がめちゃくちゃな気持ちでいっぱいいっぱいになる。それなのに、列はどんどん円香ちゃんに向かって進む。

「ま、円香、ちゃん……」

「……こんにちは」

逃げる間も与えられずに円香ちゃんの目の前に放り出された。こんなに近くで見ても真珠みたいに白くてきれいな肌。同じ人間だなんてとても思えない。たくさんのファンと握手してきたんだからいちいちわたしの顔なんて覚えるわけないだろうし、絶対に覚えてほしくなかった。

「わたし、わたしもまどかっていうんです」

黙ってしまったら円香ちゃんが困るから、必死で話題を探した。

「そうですか、同じですね。いつも手紙をくれるまどかさんですか?」

「……え?」

ざっと血の気が引く。山ほどもらうファンレターのひとつひとつなんか覚えているわけないって、思ってたのに。円香ちゃんに認識されてしまっている?

「そう、です、でも、わたしの人生の「まどか」は、円香ちゃんだけでいいなってさっき思って、わたしなんか全然、円香ちゃんみたいにかわいくないし、性格も暗いし、ずっと円香ちゃんだけ見ていたい、です」

焦れば焦るほどいらないことを話してしまう。いつも応援してますって、これからもがんばってくださいって、当たり障りのないことだけ言えばよかったのに。何の感情かわからない涙が出てくる。

「泣かないでください。あと、あなたがまどかであることを私に背負わせないでください」

「え……っと、あの」

何を言われたかわからなかった。でも、円香ちゃんが少しだけ眉をひそめたように見えて、握手をしている手が強張る。

「次はちゃんと、まどかと円香としてお話ししましょう」

手を離した時はもう円香ちゃんの表情は和らいでいて、すぐ次のひととの握手に移っていた。退場を急かされて、嘘みたいだった空間から屋外の現実に連れ戻される。

 

呆然とした身体で自動操縦みたいに家に帰る。手を洗って、洗面所の鏡を見る。

『あなたがまどかであることを私に背負わせないでください』

円香ちゃんの声が耳の奥で何度も再生される。円香ちゃんがどういうつもりで言ったのか全部はわからないけど、心の底を見透かされて、怒られたような気がした。

ヘアバンドで髪をまとめて、クレンジングオイルでメイクを落とす。大嫌いな顔が洗面台の明かりに照らされる。わたしに消費されるファンデーションが気の毒になる。

『次はちゃんと、まどかと円香としてお話ししましょう』

あれは、また来てねという意味が含まれていたと思っていいんだろうか。かわいくないまま生きるのが辛くて、円香ちゃんに自分を肩代わりしてもらおうとしていた人間に、またお話ししようと言ってくれたんだろうか。

洗顔フォームを泡立てる。せめて、少しでも素肌がきれいになるように、いつもより丁寧に丁寧に洗う。ぬるま湯で流した顔を、持っている中で一番やわらかいタオルで拭く。

わたしにはもったいないと思って使えなかった、円香ちゃんが使っているのとお揃いの化粧水を棚の奥から引っ張り出して、初めて使った。洗い立ての肌が素直に化粧水を吸い込んでいく。次に円香ちゃんと話すときは、笑って自分の名前を言えますように。