アイドル現場レポ日記

いろんなオタクのレポ置き場

献立と生活

人生のピークって自分で作らないと存在しないんだ、と、一人分の食器を洗いながら天啓のように気づいた。だから祐佳は結婚式のプランに死ぬほどこだわっていたし、亜佐美はあんなに仕事に一生懸命だし、春奈はマンションを買ったことを自慢げに語るんだ。どうしてそこまでして社会的にちゃんとした大人になりたがるんだろうって不思議だったけど、人生の最高打点を自分で更新しようとみんなちゃんと考えてるんだ。歩いただけで、食べただけで、話しただけで褒められる子どもではもうない大人は、自力でちゃんとするしかないんだ。

どうして同世代の友達の中でわたしだけがこんなに子どもっぽいのだろうと思っていた。でもそういうことだったんだ。人生設計とか資産形成とか、全部ちゃんとした大人のやることで、わたしにはまだ関係ないって思ってたし、友達もわたしと同じだって思ってたけど、みんなわたしと一緒になってへらへら遊んだりしつつもNISAやiDeCoをやったり、結婚前提の同棲とかしたりしてたんだ。

こういうことだって、こんな歳になって気づくことでもないんだろう。気ままな一人暮らしで、残業も少ない服装自由の職場で、狭くもないけど広くもない1Kアパートの家賃と食費には困らない程度の収入。平坦だけど渇望もない生活のせいで、これ以上を欲する感じでもない。何をやるにも今更な気もするし、今から人生のピークを自分で作るなんてのはたぶん無理だ。

 

趣味らしい趣味もない。強いて言えば料理をするのが苦にならないから、部屋を借りるときは二口コンロがあるところを選んで、食べたいものがあればレシピを検索するくらい。休日は朝と昼が合体した軽い食事と、多少時間をかけた夕食を作る。冷蔵庫の中の食材はあらかた使い切ったタイミングだったから今日の夕食を何にするか迷って、YouTubeのおすすめ欄に並ぶリュウジさんやまかないチャレンジやだれウマさんのサムネをスクロールする。

おつまみ系の気分ではないな、冷凍したご飯がまだあるから麺類もパスかな、とはいえガッツリした丼ものもちょっとな、あ、筑前煮、と思って手が止まる。知らないチャンネルの、つやつやしたおいしそうな筑前煮とエプロン姿の女の子のサムネ。再生数は爆発的ではないけどそれなりにあって、顔がかわいいからかなと思いつつも一応再生する。

九州っぽい方言でハキハキとよくしゃべる子だった。やっぱり顔がかわいいからだな、と動画を閉じかけたら、しゃべりながら信じられない手際で里芋の皮をむいて鍋に放り込んでいく。里芋の下茹でとほかの野菜の皮むきを当然のように並行していて、あれ、ちゃんと料理ができる人だ、と思った。

「じゃ~ん! にんじんはかわいく飾り切りにしたばい! れんこんは火の入りを浅めにするとシャキシャキ食感がたまらんとよ!」

ただでさえ硬くて火の通りづらい根菜をこうも軽やかに扱うのを見ると、筑前煮ってもしかして実は簡単な料理なんじゃないかと思えてくる。材料もスーパーで揃うし、今夜はこのレシピを参考にしようかな。

 

多めに作ってお弁当のおかずにしよう、と5人前だったそのレシピの半量の材料を買い込んで、里芋の皮むきを始めた時点で早くも後悔した。じゃがいもやにんじんに比べて小さいからそもそも扱いづらいし、むいていくうちにつるつる滑る面積が増えて手間取る。でも残りの材料たちがこっちを見ているから、さっきの動画をもう一回再生しながらがんばった。料理にはそこそこ慣れているつもりだったけど、この子の手際の良さを見ると自信がなくなってくる。

「そいじゃあ今日の『こがねのお勝手』はここまでたい! チャンネル登録と高評価、待っとーよ!」

できる限りレシピに忠実に作った筑前煮は、うちの実家じゃないけど実家の味がした。派手じゃないけど、しいたけの出汁がよくしみておいしい。最近、時短重視のバズレシピばかり見ていたかもしれないなと反省した。

食べ終えて食器をシンクに持っていってから、YouTubeで「こがねのお勝手」と検索してみる。恋に鐘って書くんだ、めっちゃいい名前だな。再生リストが出てきたから開いてみたら、煮込みハンバーグ、豚汁、炊き込みご飯、アジフライ、ホットケーキとジャンル不問のレシピがたくさんまとまっていた。どれも多分恋鐘ちゃんの手際のせいで自分でやるより簡単に見えてしまうのだろうけど、休日にやることなくて時間を持て余すくらいならちょっとがんばって作ってみようかなと思った。

 

再生リストから順繰りに過去の動画も遡って、週末はすっかり恋鐘ちゃんのレシピを作るのが日課になった。優しい味付けと、時折慈しむような顔を見せながら料理をする恋鐘ちゃんがじんわりと楽しみになっている。

レシピ本とか出してないのかな、と思ってチャンネルのホームに飛んでみたら、「こがねのお勝手」以外の再生リストが思ったよりたくさんあった。料理動画以外おすすめにも上がってこないから勝手にお料理YouTuberだと思っていたけど、MVやゲーム実況動画が結構な本数まとめられていて、どうやらこの283プロチャンネルというのはちゃんとしたアイドル事務所らしかった。

エプロン姿しか見たことのなかった恋鐘ちゃんが歌って踊っている。しかもかっこいい系のグループなんだ。ライブ映像の迫力と、料理をしている時とは全然違う恋鐘ちゃんの雰囲気に、なんだかどきどきした。

自動再生で流れた次の動画では恋鐘ちゃん一人がカメラに手を振っていた。

「うちの写真集が出るとよ~! こん撮影のために南の島に行ったばい! それから、プロデューサーにどうしてもってお願いして料理してる写真も撮ってもらったと!」

先週アップロードされたばかりの宣伝動画のようだった。写真集撮影の思い出話、見どころ、お渡し会があるから来てねのメッセージ。楽しそうにころころ変わる表情に、本当にアイドルなんだな、と思う。お渡し会っていうのに行けば恋鐘ちゃんと話せるのかな。

概要欄に貼ってあるお渡し会整理券付き写真集の通販ページに飛んでみる。一冊3000円なら買えない値段じゃないなと思ったけど、スクロールすると在庫の欄にバツ印が並んでいた。発売日からあまり経っていないようなのに、全部売り切れている。

ああ、会えないのか、と、思っていたよりはるかに落胆したことにびっくりする。こういうの、ファンの人たちは発売した瞬間に買うんだろうか。ライブのチケットの争奪戦というのも聞いたことはあるし、応援したい人を直接応援するのって、もしかしてすごく労力をかけてがんばらないとできないことなんじゃないか。アイドルのファンって、どうやってなればいいんだろう。何て検索したら入り口に立てるのかもよくわからない。

 

恋鐘ちゃんに会って、たくさんのやさしいご飯を教えてくれたことにお礼を言いたい、と思った。それを実現するにはあまり好きではないがんばるという行為をしなければならないけど、がんばってでも言いたい、と思った。

1Kの部屋でごはんを作って食べれば完結するはずだったわたしの平坦な人生。ピークなんて存在しないんだと悟ったはずの人生。なのに、動画の中の恋鐘ちゃんと一緒に料理をしている間のわたしは、この生活自体を愛せていた。

新しいことを知りたいなんて、がんばりたいなんて思ったのいつぶりだろう。結婚式にも輝かしいキャリアにもNISAにも持ち家にも興味が持てなかったけど、恋鐘ちゃんと恋鐘ちゃんの作るごはんはわたしの人生をもっとあたたかい場所に連れて行ってくれるのかもしれない。