アイドル現場レポ日記

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櫻木真乃を推していた頃

高校生の頃、櫻木真乃を推していた。

 

当時は「推し」という単語が今ほど普及していなかった時代だったから、「推しは櫻木真乃です!」みたいな自己紹介をしたことがあるわけではない。「推し」ということばが生まれたから、遡って高校生のぼくは櫻木真乃を推していたことになった。

当然「推し活」なんて概念もなかった。イルミネーションスターズのCDを買ってiPhoneに取り込んで通学時間に聴くことや、櫻木真乃が出ているテレビを録画して休みの日にまとめて見るのを楽しみにしていたことに名前はついていなくて、ただぼくがそうしたいからそうしていた。今の彼女にその話をしたら、「推し活とかするタイプだったんだ、ちょっと意外かも」と言われて、過去のぼくは推し活をしていたことになった。

 

彼女は現在進行形で黛冬優子を推していて、息をするように黛冬優子のSNSの更新通知をオンにしているし、息をするようにストレイライトのライブに行く。ライブには連れていかれたこともあるし、音楽は好きだから楽しめたけど、かつて櫻木真乃に抱いていた感情と同じものを感じたかと言われればそんなことはなかった。

推しということばが浸透する前、櫻木真乃はぼくにとってなんだったのだろう。羽毛のような笑顔に、画面越しでもわかる細くてやわらかい髪の毛に、ぼくは何を感じていたのだったか。今となりにいる彼女に向けるような、現実的で少し打算的な感情では少なくともなかった。

 

高校を卒業して、大学でそれなりにいろいろなことを覚えて、音楽はSpotifyのおすすめに任せて聴くようにばかりなった。勝手になんとなく好きな気がする曲がピックアップされて耳を流れていく。なるべくがんばらないで生きていけたらいいなって思っているうちに毎日が過ぎていく。全部の人生の選択に行けたら行くよみたいな返事をして、いつか困るんだろうと予感しつつ、それが今じゃないことに安心している。

櫻木真乃を推していた頃はこうじゃなかった、と思いそうになって、櫻木真乃を推していた頃なんてなかったとも思う。推す、というのはあとから名づけられた行為で、あの頃のぼくはーーただの櫻木真乃のファンだったのかもしれないし、ただ櫻木真乃を応援したかったのかもしれないし、櫻木真乃にただ恋をしていたのかもしれなかった。

 

図書室でイヤホンをしてテスト勉強をしようとして、ありったけの輝きでが流れてきて勉強どころではなくなったことも、櫻木真乃がW.I.N.G.で優勝した日にコンビニでケーキを買ったことも、一度思い出すと新鮮な感情として心臓に直接よみがえってきた。クラスの女子ともうまく話せる柄ではなかったくせに、イルミネーションスターズの握手会に当たったら何を話そうか空想したりもした。今だったら「櫻木さんは最高の推しです!」でごまかせる感情を、あの頃はどう伝えようとしていたんだろうか。

女神だとか天使だとか、そんな崇高で非人間的な存在としては見ていなかった。櫻木真乃はアイドルで、ぼくとは遠いところ、だけど同じ世界で生活していて、夜になったら眠って、朝になったら起きながらアイドルを頑張っていることがうれしかった。付き合いたいとかそういう大それた気持ちは微塵もなくて、櫻木真乃が頑張っている地平にぼくも生きていることが素朴に心強かった。

 

いろいろ考えるのも面倒だから、櫻木真乃を推していた、ということにしてしまいたかったけど、推しだったと断言してしまうと、名前もつかないまま、好きという大きくてあたたかい枠の中で櫻木真乃を見ていた高校生のぼくと今のぼくの連続性が途切れてしまいそうで、あの頃の感情は定義しないことにした。

 

きみにとって黛さんって、推しということばを使わずに表現するとしたら何?と彼女に聞いてみたら、「え? ふゆは推しだよ、推しって推しとしか言えなくない?」と返ってきて、きっと今ではないのだけど、いつかこの人とは別れるんだろうなと思った。