アイドル現場レポ日記

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わたしの青春は全部田中摩美々だった

わたしの青春は全部田中摩美々だった。16歳だったわたしにとって摩美々の髪のむらさき色はそれまでの高校生活が色褪せるくらい鮮烈で、そこから大学を卒業するまで摩美々はわたしの生活の中心であり続けた。

茶髪にも染めるつもりがなかった髪を、高校卒業と同時にブリーチしてむらさきに染めた。決して摩美々そのものになりたいわけじゃなかったけど、摩美々は摩美々の好きな要素を追求してあの摩美々になったのだと思って、摩美々にわたしを覚えてもらいたくて、摩美々の好きそうなおしゃれをたくさんした。

googleフォトが突然通知をよこしておすすめしてきた8年前の写真のスライドショーには、怖いものなんてなんにもなさそうな顔でNADIAの短いスカートとYOSUKEの厚底ブーツ武装して、どこもかしこもアシンメトリーな衣装を着た摩美々とツーショットを撮る大学時代のわたしがいた。アイシャドウもネイルも似合うとか似合わないとか関係なしに好きな色を塗っていて、今見たら似合わない色も全然あるのに、当時のわたしは摩美々に「いいじゃーん」と言ってほしくて、あのいたずらな笑顔が見たくてただただまっすぐに必死だった。イーハイフンボンボンもファンキーフルーツも、もう捨ててしまった服ばかりだ、とスライドショーをめくり終えて思った。

もうあんなに脚なんて出せないし、アイシャドウももっぱらブラウン系のパレットばかり選ぶようになった。全身ユニクロを着ることになんの抵抗もなくなった。誰かにそうしろと言われたわけでもないけど、8年もあればゆっくりと好みも変わって、カラコンもヴィヴィアンのネックレスも、なくても生きて行けるようになった。

ぼんやりと朝のコーヒーを飲み終えて、まだ寝ている夫を起こす。とびきり美人で現実離れした8年前の摩美々の写真をひとしきり眺めた後に夫の寝顔を見ると、寝室の生活感がますます濃く感じる。この作為の介在しない生活感がこんなに大事に思えるようになるなんて、摩美々がすべてだった頃にはとても思わなかった。なんというかあの頃は、大人になれるだなんて思っていなかった気がする。

休日の朝ごはん担当の夫が半開きの目でホットサンドを作る後ろ姿を眺める。めちゃくちゃ格好いいわけでもないけど優しい声をしていて、煙草は紙巻きしか吸わない夫。普通に仲の良い、普通の共働き夫婦だと思う。ふたりともそこそこ仕事が忙しくて、でもお互い土日はきちんと休めて、一緒にごはんを食べて寝る日常が繰り返していく。そんな人生退屈で耐えられない、と学生時代は思っていたけど、社会人になって趣味に割ける時間が減って、どんどん売れて供給が増えていくアンティーカの情報を追いきれなくなって、気づけばライブからも足が遠のいていた。嫌いになったわけではない。単純に大人になって、若くなくなったんだろう。

学生時代のわたしを支えるものは摩美々しかなかった。摩美々はあんなに誰かの思い通りになんてならないって顔をしておいて絶対にファンの期待に誠実でいてくれる良きアイドルだったからその支柱は壊れずに済んだけど、あの頃のわたしは危ういバランスで成り立っていたのかもしれない。今は支柱も増えたし、自分の足で自分を支えられるようにもなった。もう思い出せない失ったものもたぶんたくさんあるけど、摩美々に青春を捧げたことへの後悔も、今なだらかに大人になっていくことへの焦りも全然ない。

「できたよ、今日の具はアボカドとハム」

「ありがとう、いただきます」

「いただきます。熱いから気をつけて」

焼きたてのホットサンドの端をかじって、朝の情報番組を適当に流す。

『ーー今日のトレンドワードはこちら! 昨日、自身初となるソロホールツアーの千秋楽を迎えた田中摩美々さんです!』

テレビに頭の中を覗かれたのかと思って、ホットサンドを持つ手に力が入る。

「あっっっつい!」

言わんこっちゃない、と笑う夫に照れ笑いを返して、テレビの中の摩美々を正面から見る。きちんと意識して見るのは何年振りだろう。相変わらず派手なメイクが映える目元のまま、あの頃の摩美々のまんま、どんな動作をしても思わせぶりに見えてしまうきれいな大人になっていた。初めて摩美々を見た時と同じように、視線が吸い込まれて釘付けになる。

そうだ、わたしはわたしが大人になれるだなんて思っていなかったのと同じように、摩美々が大人になるところなんて想像もつかなかったんだった。想像なんてできなくても、摩美々もわたしも生きていたから、当たり前に大人になったんだね。

わたしはきっともう髪をむらさき色に染めないし、摩美々はもうわたしのことを覚えていないかもしれないけど、わたしの青春が摩美々とともにあって、摩美々が大人になってもアイドルをやっていてくれて、本当によかった、と思った。