アイドル現場レポ日記

いろんなオタクのレポ置き場

他人事は面白い

「なんでそんなに浮気するんですか」

「浮気なんてしてないよ、誰とも付き合ってないし」

「あなたが浮気しているんじゃないかって疑ってる人間全員、あなたが自分と付き合ってると思ってますよ」

「面倒だな……。そもそも付き合う付き合わないの口約束になんの効力があるの、付き合ってなきゃできないことなんてひとつもないじゃん」

「そのスタンスでモテるのむかつきますね」

「結婚してできるようになることだって不倫と離婚だけだし」

「最悪」

Nと飲むと毎回飽きずにこの話をする。Nはもう何年もわたしの友人であり続けている稀有な存在で、その他の人間も全部友人だったはずなのに、いつの間にかわたしを変に好いたり変に嫌ったりしてわたしの前からいなくなった。Nの稀有なところは、絶対にわたしに恋愛感情を抱かないところだ。

誘われたらなるだけ断らずに一緒に遊ぶこと、冷たくされるよりは優しくされた方がうれしいのは誰だって当たり前だと思うからまず自分がそうあろうとしていること、人の話は最後までよく聞いて、それに対する意見も相手を傷つけない範囲でしっかり述べること。わたしが人間関係で大事にしていることを実行するとたまに事故る。こんな人間を誠実だと感じないでほしいのに。

ソファ席のカフェで大切な友人だと思っていた人間にぴったりと身体を密着させられた時、飲み会の帰り道で大切な友人だと思っていた人間に指を絡める恋人つなぎを求められた時やっと、やべえ間違えた、と悟る。

「間違えたって悟ってからも相手への態度を変えないのがタチ悪いって言ってるんですよ」

「だって付き合わなきゃできないことが存在しないんだから、付き合ってないからできないことも何もないでしょう。恋愛感情を向けられようが向けられまいがわたしにとって大事な友人なことに変わりはないよ」

「でもやべえ間違えたとは思うんだ」

「向こうにとってわたしが友人じゃなくなってきた証拠ではあるから……」

ボディタッチを筆頭とするそれらの行為を、拒まれたら悲しいだろうから拒まない。拒まなくてもわたしは困らないから。付き合いましょうという宣言がないから付き合ったつもりもないのに、拒まないという行為が友人にとっては恋人の契りに匹敵することがあるようで、わたしが誰に対してもそのスタンスであることに、元友人となった人間たちはとても怒りいなくなる。

あなたのことが特別だよというわたしの言葉はあなたのことだけが特別だよという意味ではなかったのに、Nに言わせればレトリックをもてあそんでくどい言い回しをする悪癖が元友人たちには甘い文句に聞こえたのだろうと。文学部卒の言い回しなんてみんなこれくらいはくどいでしょうと反論すると、主語をでかくするなと今度はインターネットのように窘められる。

「次のデートはいつどこで誰となんですか」

「デートのつもりはないよ、少なくともわたしには……」

他人事は面白い、というNとわたしの間の共通認識を確かめるように、Nはわたしがまた友人を失おうとしていることににやついている。会社の後輩に、知らんアイドルのライブに誘われた。チケット代も安くしてくれるというし、O-EASTはキャパシティのわりに見やすくて好きだから知見を広げるために行ってみるか、というだけなのに、この後の展開をNは見てきたように予想する。

「現地集合? そうですか。じゃあEAST前で落ち合って入場待機列でおしゃべりして。ライブは楽しいでしょうね。楽しくないライブもあまりないし。あなたは落ち着いて見えて面白いものを見たあとはしっかりテンションが上がるタイプだから、ライブよかったねえとか言って近場の飲み屋に誘うでしょう。感想戦をしたくてなおかつお腹が空いて喉も乾いているから、あなたにとっては当然の道理だ。だけどその後輩にとってはどうでしょうね。ライブの誘いの連絡にはなぜか恋人と別れた旨が書いてあったんでしょう? 道玄坂の魔力に後輩が背中を押されない自信があるんですか?」

わたしに聞くなよ、という問いかけを投げて、やっとNは口を閉じる。こいつの語り口の胡散くささも大概のくせに、わたしが友人を減らした話をすると嬉々としてわたしの言葉遣いの悪癖を指摘してくる。元演劇サークルめ。

大学を卒業して社会に出て、わたしやNのような持って回った口調で日常生活をしている人間はあまり多くないことに気づいて、でも余計な修飾をたくさんして話すことしかできないから、結局このまま大人になった。この話し方を新鮮に感じてしまう人間があなたにハマるんですよとNに言われて、特に反論も思い浮かばなかった。Nは追加で八海山を一合頼んで、これが小説なら思わせぶりなカクテル言葉のあるカクテルを頼んでいる場面だと思って、でも八海山は八海山でしかなくて現実だった。

 

ニワカなりの誠意として物販でTシャツを買って、テンションが振り切れている後輩と一緒に客席に入場する。

ねえ先輩、はぐれちゃだめですよ、せっかく整番早いから前行っちゃいましょう、先輩、予習にお渡ししたプレイリスト聞いてくれましたか、と手首をつかまれて、ぐいぐいと手を引かれるままにフロアを移動する。後輩が楽しそうでうれしい。前方下手のいい位置を取れても後輩がわたしから手を離さないことの意味とかを、用心深くありたいなら勘繰るべきなのだろう。でも人ごみで手をつなぐことが困るわけでもなく、いよいよ間違ったなあと感慨深くなるまではわたしのことも他人事だから、後輩との関係をコントロールする気も起きないのだった。まだ間違っていないから、この状況は別に正しい。

ライブにはよく行くけど、入場から開演までの時間への没入に失敗すると完全に別のことに思考を取られてしまうことがあって、今日はそれだった。後輩の話に相槌を打ちながら、浮気どころか恋愛もしたことがない可能性について考えた。わたしからすれば友人たちが入れかわり立ちかわり流れていくことを取っ替え引っ替えと指差す人もいて、外側から規定されるモテるわたしの恩恵をわたしは受けていない気がした。人間の区別があんまりついていないのかもしれない。目の前の後輩の笑顔を独占することに代替不能な喜びを感じる人間もいるんじゃないか。

後輩がくれた予習プレイリストはよくできていて、半分以上の曲がわかるやつで助かった。ビジュアルの系統がバラバラな3人ユニットを、レーザービームの照明がひとつに纏める。3人でひとつの名前を名乗る必要性がここにはあって、暗転の向こう側に残る決めのポーズがそれはそれは美しかった。

MCがないタイプのガチなダンスユニットかと思ったけどそうでもなくて、前半パートを終えたところで空気が弛緩して3人が喋り出す。

「今日初めてふゆたちを見るよ〜ってひと〜?」

アイドル恒例のMCに乗っかって緑のペンライトを振る。ステージから視認できるすべてのペンライトに反応しているであろう彼女のリアクションに、それがアイドルの仕事なのだとわかっていてもどきっとしてしまう。

大盛り上がりのOverdrive Emotionの、間奏だった。それまでも何度か目が合ったような気はしていたけど、その間奏で彼女は間違いなくわたしを見つめていて、一人の新規へのファンサービスとしては長すぎやしないか心配になるほどの見つめ合いの後、ばちんと音がしそうなウインクを残してダンスに戻っていった。何が起きたのかわからなくて、他のファンの反感を買っていないか周りを見渡したけど、みんなステージに夢中で誰もわたしを見ていなかった。自分の視線を彼女の視線に掴まれた感覚が、時間の流れをおかしくさせたのかもしれない。

高まりに高まったライブの終演はあっけなくて、客電がついたフロアはただの人間たちの集まりだった。高揚を隠さずに、しかしわたしの手をしっかりと握ったまま外に出ようとする後輩を見る。わたしはこの後輩と目を合わせたことがあっただろうか。これまでわたしの前を去ったなんの口約束もしていない人間たちがわたしをどんな視線で見ていたのか向き合わないまま、区別のつかない友人たちをまとめて愛していたつもりになっていたのだと、彼女と、ふゆと絡まった視線が答え合わせのように反響する。

先輩、この後どうしますか、ライブ良すぎましたね、話したいことたくさんあるんです、終電何時ですか、このへんならあの、泊まるところには困らないんじゃないかなって、

後輩の手がわたしの腕に絡まる。これまで何度も向けられてきた好意を正面から感じようとしたらあまりにも重たくて、これを拒まずにいられたのは受け止めていたからではなく受け流していたからなのだと気づく。

人間からの好意と視線を瞳で受け止めて、しかもそれを逆に搦め捕ろうとするステージでの振る舞いがどれほど強かな意味を持っていたのかが手繰り寄せるようにわかって、後輩の手をそっとほどく。どうせ間違うなら今でもいいはずだ。来る好意を拒まないからって、わたしはまったく優しいわけじゃなかった。

誰かを好きになることが何かを奪われることだなんて、ふゆに視線を奪われるまで知らなかった。そりゃみんな怒っていなくなるはずだ。せめてもの償いとして目の前にいる後輩に「ごめん、好きな人できたから」と宣言して、その言い慣れなさに笑いながら帰った。これを酒の肴にするには、たぶんまだ時間がかかる。