アイドル現場レポ日記

いろんなオタクのレポ置き場

花の色は

毎日死んだように仕事に行き、死んだように家に帰ってくる。
仕事に対してなんの感情もないから、仕事をしている間の9時間+通勤往復計2時間の記憶がまったくなくて、しかもロングスリーパーとかいう損な体質で8時間寝ないと具合が悪くなるから、私の一日は5時間しか意識がない。
その5時間もご飯と最低限の家事とスマホでだいたい終わる。

 

実家から結婚の予定を聞かれた。そんなものはない。
うちの親はそういうこと言わないでくれるひとだと思っていたけど違った。
もう令和だけど私が結婚するべきだと思う人はまだ全然いる。
いろんな反論が浮かんだけど結局ひとつも言えなかった。曖昧に返事をした私の顔は醜かったと思う。

 


死なないために生きてるのに死んだようにしか生きられなくて、ちゃんと生きていると思えるのは週末のライブハウスにいるときだけだった。

絵の具で染めたみたいな鮮やかな髪と、カラコンとアイラインできれいにきれいに飾られたバンドマン。

ビジュアル系の人たちのすっぴんが、メイクしたときと全然違うのなんかわかってる。
ステージの上できれいな嘘をついてくれることと、でっかいスピーカーで鼓膜と脳をぐわんぐわん揺らしてくれることが、私が唯一縋れる私の実感だった。

 

もっと煽ってほしい。もっと咲かせてほしい。もっと頭を振らせてほしい。
大学時代からもう6年か7年その衝動だけでライブハウスに通い続けてきたけど、周りのバンギャがどんどん若くなって、誰にもダメなんて言われてないのにバンギャ辞めなきゃいけない気がしてきた。


19歳のキラキラした子にツイッターをフォローされた。
たまたま最前で隣になって、開演前に少し喋った子だった。
いわゆる量産型の服で、ビジュアル系以外にもあちこちのジャンルが好きで、推しを推すのが楽しそうで、ああバンギャといえばメンヘラ属性がついてくる時代じゃもうないんだな、とまた勝手にそら寒くなった。

 

その子は若い女の子のアイドルも追っかけていた。
握手会のためにCD大量に買ったから、布教です、と、ライブ終わりにシングルを1枚くれた。
283プロダクションのL'Anticaというそのグループは、ジャケットの衣装を見る限りゴシック系っぽくて、マミミちゃんまじ推せるんですよ、と紫の派手髪の子を指差していた。
すごい名前だな…平成後期の名付けだ…とびびった。

 

CDは一応聞いてみたけど、バンドの生音に慣れてしまっているせいで曲が耳を滑っていった。
歌は下手なビジュアル系のボーカルよりうまかった。
ハマらないのは私が古いタイプのバンギャだからかもしれなかった。
今はこんなのが流行っているのか、と自分がいない世界での出来事みたいに思った。

 


***


追いかけている本命盤のリリイベがCDショップであって、平日だったけど有給を取って行った。
ズル休みという響きが持つフィクションぶりにずっと憧れていたけど、学生時代も社会人になってからもそういう類の勇気が出なくて、律儀に周りの許可を取って休んでいる。


15時からだと思って待機列に行ったら全然知らない人たちしか並んでいない。
というか客層自体が知らない世界だった。黒紫赤のバンギャカラーじゃない。
もっとなんか、パステルピンクとか、白とかの公式グッズっぽいのを身に着けた人たちがたくさんいる。

 

よく見たら私の手元にある参加券は17時からのもので、今列形成してるのは一枠早いイベントのものらしかった。
しまったな、どこかで時間を潰そう、と思って、とりあえずイベントスペースのそばのCDの棚を見る。
今流行っている歌のことはもともとよくわからなくて、だからと言ってビジュアル系のシーンがわかるかと言うと、学生時代に見つけたバンドばかり今も追っているから、最近できたバンドのことも名前くらいしか知らない。
追っていたバンドも数組は解散してしまって、何にかはわからないけど取り残されている感がすごい。

 

興味のない流行りの音楽を無理してでも聞いたほうがいいのか迷っているうちに、イベントスペースではさっきの待機列が着席してトークが始まっていた。
客席と売り場は一応区切られていたけど、通りすがりで遠巻きに見るのはOKみたいだった。
ふわふわでひらひらな衣装を来た女の子が三人出てきて、司会の人に「283プロダクションのアルストロメリアの皆さんです!」と紹介されていた。

 

283プロは知ってる。L'Anticaのところだ。他にもアイドルがいるんだ。
数少ない知識が頭の中で繋がって、ついイベントスペースへ近づいた。

 

右の子と左の子、双子だ…表情が全然違うけど似てる…。
真ん中の子、落ち着いた話し方するな…大人っぽい…。私より全然年下だと思うけど、私の十倍落ち着いてる…。

 

初めてビジュアル系バンドマン以外の人に興味を持ったかもしれなかった。
というか、今までそれ以外を意識しようとしてこなかったから、私の心のなかにこういうふわふわしたアイドルを良いと思う部分があったということにすら気づかなかったのかもしれない。

 

お互いの発言を丁寧に拾って、丁寧に抱きしめてからそっと返すようなトークだった。
新曲どころか三人の名前すら知らずに聞いたから内容はあんまり頭に入ってこなかったけど、ライブハウスの音圧とか、リズム隊の真正面で聞く生音以外にも、私にはまだ好きになれるものがあるのかもしれなかった。

 

トークのあとに新曲のお披露目もあって、狭いイベントスペースのステージでもきちんと踊り切る三人に思わず拍手していた。
生歌でもしっかり声が出ていて、ダンスもめちゃくちゃ練習したんだろうな。

 

はける時に真ん中の子が私に向けて手を振ってくれたように見えて、遠くから立ち見してしまったのが申し訳なくなった。
結局最初から最後まで見届けていた。
このあと握手会があるとアナウンスされて、CD1枚で誰か一人と握手できるシステムらしかった。


タダ見してしまったし、これがなければ適当なカフェで適当なコーヒーを飲んで浪費しているだけだったし、後払いのつもりで積まれているCDを一枚買った。

 

バンドマンとの接触は何度も経験があるし、そこでガチ恋営業かけられるのも幸せだったけど、アイドルとの握手会ってどうすればいいんだろう。
こういうのって常連にならないと中身のない営業トークで終わらせられたりするんだろうか。
そもそも思いっきり黒ずくめのバンギャ服だから浮いてるし、警戒されるのでは。

 

おろおろしている間に順番が目の前まで来ていた。

とりあえず、千雪ちゃん、という名前だけは覚えた。

 

「わあ、はじめまして、ですよね?」
私の番になるなり、花束みたいな笑顔が迎えてくれた。
「初めてです、たまたまイベント見かけて、気になって最後まで見ちゃって……」
アイドルというものの存在に圧倒されて、目を合わせられない。
それでも千雪ちゃんは、私の右手を両手で包んでくれた。
「ありがとうございます! 後ろの方にいてくれたの、ちゃんと見えてましたよ」
アイドルがよく言うやつだ。本当にこういうこと言ってくれるんだ。
「千雪ちゃん……」
言葉に詰まった。
私のことを認識してくれてうれしくて、

新しく好きになれるものが見つかってうれしくて、
同時に自分が人生に停滞していることを認識してしまって、

いろんな感情が同時に湧くことに戸惑った。
「千雪ちゃん、私、もうすっかり大人なのに、世界の全部に置いていかれてるみたいで、こわくて、」
なにか話さなきゃと焦って、変なことを口走ってしまった。
初対面の知らない女にこんなこと言われても、千雪ちゃんが困るだけなのに…。
「……詳しいことまではわからないですけど、でも、」
手を握る力を少し強めて、千雪ちゃんはゆっくり言った。
「私は、アルストロメリアは、あなたのことを置いていかないですよ」
だから、大丈夫。

 

 

握手会の持ち時間は本当に短くて、お礼も言えずに次の人の番になった。
CDショップ前の休憩用ベンチで放心しながら、千雪ちゃんが言ってくれた言葉を思い出していた。

 

「お疲れさまです~! 今日の接触何話すか決めました~?」
おお、19歳は今日も元気だな、と我に返って、駆け寄ってきた相変わらずの勢いに目を細める。
「これからもバンギャやるよ、って言おうかなって思ってる」
「めっちゃいいじゃないですか、首折れるまで最前暴れギャやりましょう」
「あとさ、アルストロメリアってアイドルわかる? さっき同じとこでリリイベやってた」
「アルストちゃん!わかりますよ、曲良すぎて泣ける」
「千雪ちゃんって子が気になって、現場行きたいんだけど、アイドル界隈って今から入っても大丈夫かな」
「いいに決まってるじゃないですか!!推すのにタイミングなんか関係ないです!!」
「だよね。バンギャもドルオタも両方やりたいなって」


千雪ちゃんを見ていたときの私は、間違いなく生きていたから。