本日の謁見会の会場は某コルセット専門のセレクトショップでした。
オジサンの私には少々場違いではありましたが、
そんなことで戸惑っていては時子様のファンではいられませんので。
時子様御用達のお店で、ステージ衣装も其処のオートクチュールであることがあったようです。
贈り物は事前回収制で、ブランド物のアクセサリーや花束が受け取り所にうず高く積まれておりました。
椎名法子さんのインスタグラムアカウントにて時子様がお写りになった写真がアップされたことをきっかけに、
もしかすると時子様はドーナツがお好きなのではないか、という憶測がファンの間に生まれましたので、
高級店のドーナツ菓子の袋もちらほらと見えました。
かくいう私も、麻布十番のモンタボーで調達した期間限定のドーナツを少しばかり差し入れさせていただきました。
いつもの通り、時子様との謁見ブースはベルベットのカーテンで仕切られておりました。
順番を待つ間も、別のファンの方と時子様との幸せそうな会話が漏れ聞こえてきて、
こちらまで静かな興奮に心を包まれました。
私の番が来たらどのようにご挨拶させていただこうか、
時子様が私の話を聞いてくださったならどんな話題を提供させていただこうか、
今日は握手させていただけるだろうか、と思いを馳せていたところ、
私の前に並んでいたお嬢さんの様子が少し変でしたので、
気分でも悪くしただろうかと思いお声がけしました。
聞くと、体調を崩したわけではなく、
今回が初めての謁見会参加であり、思っていたより遥かにフォーマルな雰囲気で動揺しているとのことでした。
「普通にアイドルの握手会のつもりで来たんです、たまたまテレビで見た時子さん超かっこいい、って思って、勢いで握手会応募して……」
といった旨を仰っしゃりながらどぎまぎと落ち着かない様子でしたので、
僭越ながらこの謁見会に通い慣れた身として、少しばかり助言をしました。
謁見会の当選通知にも書いてあるが、これは握手会ではないため、必ず時子様と握手させていただけるとは限らないこと。
常連の参加者の多くが私のようなオジサンであり、スーツやらフォーマルな格好をしていて驚いたと思うが、
ドレスコードが決まっているわけではないからお嬢さんのような流行りのカジュアルウェアでもまったく問題ないこと。
なぜこの謁見会に参加したいと思ったのか、時子様に対してどのような感情を抱いているか、素直に伝えればそれで十分だということ。
偉そうな言い方になってしまったら申し訳ない、と付け加えましたが、
お嬢さんにはそれでも安心してもらえたようで、がんばります、とガッツポーズをしてカーテンの向こうへ吸い込まれていきました。
何やら嬉しそうな雰囲気でお嬢さんは出てきましたので、きっとうまくいったことでしょう。
私も改めてネクタイを直し、深呼吸をして自分の番に臨みました。
アンティークものの革張りのソファに座って足を組んでいる時子様が、ブースに這入ってきた私を一瞥されました。
私はいつも通り、時子様の御前で両の膝をつきます。
「……フン、また来たのね、豚」と時子様は私のことを覚えていてくださっていて、恐悦至極です。
時子様にお目にかかる際に失礼のないように、と、
初めての謁見会参加以降、私はスーツの着こなしやら礼儀やら教養やら、あれこれと勉強をしていました。
その結果、窓際族で一生を終えるのだとぼんやり諦めていた私でしたが、仕事にも身が入り昇進することになったことを時子様にご報告しました。
「豚の分際で自分の手柄を私に自慢しに来たのかしら」と時子様のご機嫌を損ねてしまうところだったので、
私の身に起きたすべての幸いは時子様にお与えいただいたものであり、その御礼を申し上げたかった、と述べ直し、頭を床まで下げました。
「それでいいのよ。私の躾けが正しいことの証明にしてやっても構わないわ」
時子様のその言葉で涙が出そうになりながら、それを堪えて本日お贈りさせていただいたドーナツについても触れました。
高級店の限定品であり、もしお口に合えば食べていただきたいとお伝えしたところ、
時子様はボソッと「また、小麦粉……」と仰ったように聞こえました。
ドーナツはお嫌いでしたか、それならば今回は持ち帰ります、と慌てて申し添えましたが、時子様は首を横に振られました。
「法子との仕事が多かったから、豚なりに小さい脳みそで気を回したのでしょう。だけどね、法子と一緒ということは、ドーナツが湧いて出てくるということなのよ」
珍しく時子様が遠い目をしておられて、ファン歴の長い私ですら初めて見る表情でしたので、あっけに取られてしまいました。
椎名法子さんのドーナツ好きは、商売上のキャラクターではなく筋金入りのようだったので、
次回の謁見会では小麦粉製品以外のものをお贈りしようと決めました。
時間です、とマネージャーらしき男性から声をかけられて退出しようと立ち上がると、
時子様がその御手をす、と私に差し出されました。
私は訳がわからずぽかんと立ち尽くしてしまい、時子様の舌打ちで我に返りました。
震える手で時子様の真っ赤なマニキュアの塗られた指先に触れさせていただいたのは、参加回数十数回に及ぶ謁見会で初めてのことでした。
カーテンをくぐって謁見会ブースを出たあとに、情けない話ですが腰が抜けて崩れ落ちてしまい、
顔なじみの常連仲間に肩を借りて帰途につきました。
私の人生は財前時子様のためにあるのだと改めて認識し直すことができた、非常に幸福な謁見会でした。