アイドル現場レポ日記

いろんなオタクのレポ置き場

普通の人生

そういえば彼氏とも別れたんだよねー、と事も無げに告げられたのはもういい加減お酒も回ってお開きにしようかというタイミングで、アルコールのせいで「えええっ!」と想定より大きな声が出た。

女子会とは名ばかりの、十年来の友達ふたりでたまに集まってお気に入りのダイニングバーで近況報告をしあう会。この前私が結婚した時にバカみたいに大きな花束を持ってきてくれた瑠奈にどんな言葉をかけるべきか迷う。

「いい人そうだったのに、うまくいかなかったの?」

探り探りの私のことばにひらひらと手を振って否定して、瑠奈は口をとがらせる。

「いい人だったよ、ちゃんとしてたし。でもねー、美琴より大事に思えないのが申し訳なくなってきて。なんか、あたしよりいい選択肢いっぱいあるよ!?ってなって別れちゃった。ちゃんとお互い納得してるから大丈夫だよ!」

「美琴さん…」

ここで出てくるのが瑠奈の推しの名前であることに、ちょっとぎょっとする。半年前に会社を辞めた話を聞いたのもこのお店でだったし、同じく美琴さんが理由だった。土日祝休みで19時定時の会社では、平日ライブの開場に間に合わないからって。短時間勤務のフレックスの会社と単発バイトを掛け持ちする生活で身体がもつのか心配だったけど、本人は転職前より楽しそうに美琴さんを見に行っているから良いんだと思っていた。

「そんな不安そうな顔しないでよ、親友がこんなに人生楽しそうにしてるんだから喜んでってば」

当の瑠奈がけらけらと笑っているのに、私は自分で思うより変な顔をしてしまっているようだった。

「ねーなんかごめん、帰る雰囲気だったけどもう一杯飲んでいい? 夫氏怒んない?」

オットシ、という単語を初めて瑠奈から聞いた時、うまく漢字に変換できなかった。真緒の配偶者の人のことだよと言われて初めて夫氏だとわかった。普通に旦那さんとか言えばいいのに、と笑ったら、普通って難しいよねえと笑い返された。

話が盛り上がってるからもうちょっと飲んでいくね、とラインを入れて、メニュー表を瑠奈に渡す。楽しんでおいでーと気の抜けた返事が来た通知を確認してから、瑠奈はレッドアイを、私はカルーアミルクを頼んだ。

「瑠奈、あの彼氏…元彼の人と結婚するんだと思ってた。推し活も理解してくれてたし」

カンパリソーダとモスコミュールのグラスを返して、新しいお酒もそこそこに話を続ける。

「寛大だったよねー、あたしがあれだけ美琴美琴言ってても嫌な顔しなかったし。でもまあ、だからこそあたしの人生の中心に近いところにいるのが彼氏より美琴だなって確信しちゃったんだけどさ」

ツイッターとか検索すると、美琴さんファンの代表みたいな感じだもんね瑠奈」

「いやいやいや、そういうのは勘弁してほしいー。ドルオタはTO問題に敏感なんだよ、あたしなんて美琴が大好きなだけの木っ端ファン」

美琴さんが出るライブとかイベントのほとんどを見に行っているのに、瑠奈は謙虚に首を振る。瑠奈がツイートするライブのレポートはその日の衣装やネイルのことから長文の感想まで密度が高くて、SHHisのファンの人たちからめちゃめちゃフォローされていた。

「ていうかさ、真緒もSHHis現場行こうよ、生にちかちゃんまた見ようよ~」

レッドアイをぐっと飲んで、瑠奈は私に顔を寄せる。瑠奈に教えられて聴き始めたSHHisの曲はかっこよくて、そこからにちかちゃんがテレビに出ていると結構見るようになった。強気で、切り返しがうまくて、かわいい。でも、瑠奈がTwitterでそうしているように推しの魅力を的確に言語化するみたいなことができるわけでもないし、ライブも瑠奈に連れられて行った一回きりだし、私の方こそファンと名乗るのも恥ずかしいくらいだった。

「あーでも夫氏との時間を邪魔するわけにもいかんか、真緒新婚だし一緒にいたいよねー」

私がライブに行くと即答しない理由も瑠奈にはバレバレで、今さら否定するような間柄でもないから素直に照れ笑いが出る。

「ライブもね、連れてってもらった時すっごい楽しかったしまた行きたい気持ちはあるんだ。折を見て誘ってほしいなーとは思ってる」

「誘う誘う〜、夫氏が出張でいない日とかあったら行こうね」

夫氏が出張とかある仕事なのか知らんけど、と笑う瑠奈は、私の旦那に会ったことはない。紹介しようかと提案したこともあったけど、真緒にとっての大事な人でもあたしにとっては他人だからなー、とやんわり断られた。瑠奈はそういうところはドライで、私だったらなんとなく断りづらくて興味がないのに受けてしまう約束をしないところがかっこいい。その提案を断られたからといって瑠奈が私を蔑ろにしたわけではないのは、私が一番よくわかっていた。

「瑠奈はすごいよ」

お酒がまわってふわふわした頭で、もうこれまでの瑠奈との会話で何度言ったかわからない台詞が口から出る。

「またそれ? あたしがすごかったら真緒も同じだけすごいけどな」

完璧に熟れたりんごみたいな色の爪を撫でる瑠奈の人生がすごくすごいことを、こうして酔うたびに伝えてしまう。私が就活や仕事や恋愛や結婚で手一杯になっている間に、瑠奈は私が手一杯になっていたものたちすら人生の手立てのひとつにして、大好きな美琴さんのために生きている。ネイルサロンで赤色の爪しかオーダーしないことも、お酒を飲むときに赤いカクテルしか頼まないことも、瑠奈はバカみたいでしょと笑うけどかっこよくて羨ましくて、やっぱり私はにちかちゃん推しなんて名乗れないなとそのたびに思った。

「瑠奈を見てると、推しより自分の人生が大事な私なんか、全ぜ」

全然、と言い終わる前に瑠奈の赤いネイルの指が私の頬を両側に引っ張った。

「真緒が何回も言うからあたしも何回も言うけどねー、推してなきゃ生きていけない推しなんていなくても真緒はにちかちゃんを推してていいし、あたしは生きてていいんだよ」

輪郭のはっきりした口紅で瑠奈は笑う。

「たしかに美琴は美のイデアかもしれないし、あの完璧さを保ったまま人間でいるのってたぶん奇跡だから、あたしがそれに人生を全ベットするのはそういう価値があるからだって思ってるよ。そしてそれは別に、真緒があたしと同じでなきゃいけない理由にはならんでしょうよ」

「でも、私のやってることなんてにちかちゃんのアカウントフォローして告知見て、見れそうな時間帯だったらテレビ出てるの見るくらいだよ」

愛を表現するのがうまい瑠奈へのあこがれとにちかちゃんのツイートが好きな気持ちがごちゃごちゃになって、どこへ向けたのかわからない謙遜になる。

「新曲も共有したらちゃんと聴くじゃん」

「それは、そう……全部かっこいいし……」

「あたしみたいなののためだけにSHHisがアイドルやってるわけじゃないからさ。アイドルやる理由なんて本人たちにしかわかんないけど、SHHisにはたぶん、真緒みたいなファンも必要だと思うよ」

グラスに残ったレッドアイを飲み干して、瑠奈はお会計!と店員さんを呼ぶ。酔った頭で聞く瑠奈のSHHisに対する弁舌は、いつもこうして優しく心地よかった。

 

「ライトファンでもいいのかな」

「ヘビーファンが許可していいかわかんないけど、いいよ。時間あったらにちかちゃんにファンレターでも書いてみなよ」

「ファンレターって何書いたらいいの?」

「にちかちゃんの好きなとこ100個とか」

「瑠奈は美琴さんの好きなとこ100個書ける?」

「余裕すぎ。1000個でも足りない」

駅までの帰り道で話して、笑った。どうしたって私の人生は普通だけど、ファンレターを書く普通の人生のほうが、ずっと好きになれる気がした。

ラーメン屋、或いはタワレコの聴覚

近所に新しく家系のラーメン屋ができたので行く。

新しくと言ってもかつてあったそこまでおいしくない別のラーメン屋の居抜きで、とは言え吉祥寺にある有名な家系の系譜だというので、一応期待して入った。

店員の愛想はよく、席はカウンターのみ。注文から提供まで少し時間はかかるが許容範囲で、BGMはうるさすぎないFMラジオ。居抜きなりにこぎれいにされていて、おおむね好感が持てる。

いざ丼を目の前にして、スープの香りのよさに当たりを予感する。レンゲのひと掬い目で予感は確信になり、無心で麵をすする。

具のなくなったスープの底をつい浚って何度も飲んでしまうほどには出来が良く、次に来る時に何を頼もうかとメニュー表を眺めた。

普段は邪魔にならないだけの雑音でしかないラジオすら機嫌よく耳に入ってきて、「ふつおた」というコーナーが本当に存在していることを初めて認識する。なんというか、概念であってコーナー名ではない単語だと思っていた。

麦茶(水ではなく、麦茶。いいお店だ)を飲み干して帰り支度を整える。退店を急かす雰囲気もなく、ラジオからの明るい音楽に見送られて出口へ向かう。

『……あ、逃げた』

終わったと思った曲が戻ってきて、また終わった。と思ったらまた戻ってきて、今度こそ終わった。

『というわけで、アタシたちの新曲をお届けしました! CDは特典付きで絶賛発売中、各種サブスクでも配信してるから聞いてくれたらうれしい!です!』

「ありがとうございましたー! またお越しください!」

店主の元気な声とかぶって、少し低くて輪郭の印象的な声が明るく締める。いい曲だった気がしたけど、ラーメンがおいしかったせいかもしれない。

 

結局週に2回ペースでそのラーメン屋に通うようになった。上司が健康診断で引っかかった話を聞いて以来、これでも我慢している方だ。だいたい同じ時間帯に行っているもののあのラジオはもう流れていなくて、レギュラー放送ではなかったのだろう。

めぼしいメニューを全制覇して、トッピング全部乗せラーメンにライス並盛が鉄板だなと確信に至る頃になっても、あの時のラジオがまた流れないか耳が探していた。店主に聞いたところで、BGMに流しているだけのラジオの番組を覚えているわけはないだろう。

覚えているのは、ボーイッシュな女の子のパーソナリティだったことと、やたらにわちゃわちゃしたお祭りみたいな曲が流れたこと。バンドサウンドという感じでもなかったし、いわゆるアイドルなのだろうか。アニメの歌とかだったらなおさらわからないな……。

あの子の声がまた聞きたいのだと気づいても、あまりにもあの子に到達する手立てがなかった。そもそも音楽を聞かず、サブスクサービスに入っていないことを職場のアルバイトの子にもさんざん驚かれる。どうやって生きてるんですか、って、人間はイヤホンがなくたってラーメンがあれば生きられるんだよ。

 

思い立って新宿の豚骨ラーメンを食べに行った帰り、東南口のタワーレコードの看板と目が合う。そういえばCDも発売中だと、自分でも驚くくらいあの子の音声が言ったことを覚えている。

聞きたいなら探せばいいのか、とタワーレコードの入り口まで来て、CDショップの勝手のわからなさに道をふさがれる。思ったより広い。全部がJ-POPとしてまとまってるわけじゃないのか。

たぶんだけどアイドルコーナーにありそうな気がして、フロアマップを頼りに移動する。想像の10倍は数のあるCDから適当に数枚を手に取ってみるけど、グループ名も曲名もあの子の名前もわからないのに、CDのジャケットがヒントになるはずがない。そもそもジャケットに写っている女の子たちの見分けすらあまりつかないし、だいたい手掛かりになるようなワードがわかっていたら最初からGoogleに聞いている。

おそらく限りなく近づいているはずだけどこれ以上あの曲に近づく手段を失って、まあ、帰るか、と手に取ったCDを棚に戻す。きっと少しすればあの声が気になっていたことだって忘れるだろう。

Uターンして下りのエスカレーターを探そうとして、黒いエプロンと名札をつけた店員とすれ違って、だんだん薄れながらもここまで引きずった記憶を、普段来ないCDショップにわざわざ来るような記憶を忘れられるんだろうかと柄にもなく思って、「あの、」と声が出る。

「はい! どうされましたか?」

どうしたと言うべきなんだろう。ニコニコと愛想のいい店員さんはきっと音楽にめちゃくちゃ詳しくて、さっきまでアイドルコーナーにいたこと自体が場違いだと思われている気がして、ただでさえ説明しづらい状況なのにさらに言葉が出てこない。

「曲、曲を探していて。といっても、あんまり詳しいことがわからなくて、たまたま店で流れているのを聞いたのが忘れられないだけなんですけど、」

ラーメン屋で聞いたと明言するのが恥ずかしくて無意識にぼかしたことに気づいて、ますます自分がいたたまれなくなる。

「よろしければ探すのお手伝いしますよ! えっと、ヒントとかありますか?」

それはもうたどたどしいヒントだった。女の子のグループ。たぶんアイドル。人数は結構多かったと思う。1ヶ月くらい前にリリースの宣伝をラジオでしていた。わちゃわちゃした曲で、終わりそうでなかなか終わらない曲。

店員さんは難しい顔でこれかな、違うな、とCDの棚と向き合っていて、グループ名もわからないことが申し訳なくて何度も謝った。こういう時間も楽しいから全然!という返答があまりにもプロだった。

「少し低い声の女の子がいたと思うんです、その子がラジオやってて。あ、猫を追っかけるけどめちゃめちゃ逃げられるから曲が終わらないんだったと……」

「あ!!!」

かるたを取るみたいにものすごい速さでは行の棚に手を伸ばす店員さん。

「猫でわかりました、たぶんこちらです! 声が低めなのはこの、樹里ちゃんって子だと思います!」

指差されたジャケットの左下の、金髪のショートカットの子。ずっと忘れられなかった声の持ち主。

「あ、じゃあこれ、買います」

即決過ぎたのか、店員さんが若干素っぽく驚く。

「本当にこの曲か確認しなくて大丈夫ですか? 放クラならたぶんサブスクにもあるし、検索していただいてからご購入されるか決めても問題ありませんよ!」

「サブスク入ってなくて、ていうかイヤホンも持ってなくて……」

仕事としての愛想と音楽好きとしての信じられないという感情が同時に店員さんの顔に出る。そりゃそうだ。

「CD再生するものもないんですけど、これ聞くなら何を買うのがいいんですかね。一応パソコンは家にあります」

「それでしたら外付けのCDドライブを買ってPCに取り込むか、今は直接スマホに取り込めるものも取り扱っておりますよ!」

音楽に無知すぎる客なのにまともに接客をしてもらい会計を済ませ、かの印象的な赤と黄色の配色の袋にCDを入れてもらい外に出る。

相変わらず雑多な夕方の東南口の隅で袋からそっとCDを出して、あのラジオのことを思い出す。声から想像した通りのような、想像していたよりずっと優しそうでかっこいいような、樹里ちゃんという名前だったあの子。

人生にCDとイヤホンとーーあともしかするとサブスクもーーが必要になるとは、あの日のラーメン屋では思っていなかった。

他人事は面白い

「なんでそんなに浮気するんですか」

「浮気なんてしてないよ、誰とも付き合ってないし」

「あなたが浮気しているんじゃないかって疑ってる人間全員、あなたが自分と付き合ってると思ってますよ」

「面倒だな……。そもそも付き合う付き合わないの口約束になんの効力があるの、付き合ってなきゃできないことなんてひとつもないじゃん」

「そのスタンスでモテるのむかつきますね」

「結婚してできるようになることだって不倫と離婚だけだし」

「最悪」

Nと飲むと毎回飽きずにこの話をする。Nはもう何年もわたしの友人であり続けている稀有な存在で、その他の人間も全部友人だったはずなのに、いつの間にかわたしを変に好いたり変に嫌ったりしてわたしの前からいなくなった。Nの稀有なところは、絶対にわたしに恋愛感情を抱かないところだ。

誘われたらなるだけ断らずに一緒に遊ぶこと、冷たくされるよりは優しくされた方がうれしいのは誰だって当たり前だと思うからまず自分がそうあろうとしていること、人の話は最後までよく聞いて、それに対する意見も相手を傷つけない範囲でしっかり述べること。わたしが人間関係で大事にしていることを実行するとたまに事故る。こんな人間を誠実だと感じないでほしいのに。

ソファ席のカフェで大切な友人だと思っていた人間にぴったりと身体を密着させられた時、飲み会の帰り道で大切な友人だと思っていた人間に指を絡める恋人つなぎを求められた時やっと、やべえ間違えた、と悟る。

「間違えたって悟ってからも相手への態度を変えないのがタチ悪いって言ってるんですよ」

「だって付き合わなきゃできないことが存在しないんだから、付き合ってないからできないことも何もないでしょう。恋愛感情を向けられようが向けられまいがわたしにとって大事な友人なことに変わりはないよ」

「でもやべえ間違えたとは思うんだ」

「向こうにとってわたしが友人じゃなくなってきた証拠ではあるから……」

ボディタッチを筆頭とするそれらの行為を、拒まれたら悲しいだろうから拒まない。拒まなくてもわたしは困らないから。付き合いましょうという宣言がないから付き合ったつもりもないのに、拒まないという行為が友人にとっては恋人の契りに匹敵することがあるようで、わたしが誰に対してもそのスタンスであることに、元友人となった人間たちはとても怒りいなくなる。

あなたのことが特別だよというわたしの言葉はあなたのことだけが特別だよという意味ではなかったのに、Nに言わせればレトリックをもてあそんでくどい言い回しをする悪癖が元友人たちには甘い文句に聞こえたのだろうと。文学部卒の言い回しなんてみんなこれくらいはくどいでしょうと反論すると、主語をでかくするなと今度はインターネットのように窘められる。

「次のデートはいつどこで誰となんですか」

「デートのつもりはないよ、少なくともわたしには……」

他人事は面白い、というNとわたしの間の共通認識を確かめるように、Nはわたしがまた友人を失おうとしていることににやついている。会社の後輩に、知らんアイドルのライブに誘われた。チケット代も安くしてくれるというし、O-EASTはキャパシティのわりに見やすくて好きだから知見を広げるために行ってみるか、というだけなのに、この後の展開をNは見てきたように予想する。

「現地集合? そうですか。じゃあEAST前で落ち合って入場待機列でおしゃべりして。ライブは楽しいでしょうね。楽しくないライブもあまりないし。あなたは落ち着いて見えて面白いものを見たあとはしっかりテンションが上がるタイプだから、ライブよかったねえとか言って近場の飲み屋に誘うでしょう。感想戦をしたくてなおかつお腹が空いて喉も乾いているから、あなたにとっては当然の道理だ。だけどその後輩にとってはどうでしょうね。ライブの誘いの連絡にはなぜか恋人と別れた旨が書いてあったんでしょう? 道玄坂の魔力に後輩が背中を押されない自信があるんですか?」

わたしに聞くなよ、という問いかけを投げて、やっとNは口を閉じる。こいつの語り口の胡散くささも大概のくせに、わたしが友人を減らした話をすると嬉々としてわたしの言葉遣いの悪癖を指摘してくる。元演劇サークルめ。

大学を卒業して社会に出て、わたしやNのような持って回った口調で日常生活をしている人間はあまり多くないことに気づいて、でも余計な修飾をたくさんして話すことしかできないから、結局このまま大人になった。この話し方を新鮮に感じてしまう人間があなたにハマるんですよとNに言われて、特に反論も思い浮かばなかった。Nは追加で八海山を一合頼んで、これが小説なら思わせぶりなカクテル言葉のあるカクテルを頼んでいる場面だと思って、でも八海山は八海山でしかなくて現実だった。

 

ニワカなりの誠意として物販でTシャツを買って、テンションが振り切れている後輩と一緒に客席に入場する。

ねえ先輩、はぐれちゃだめですよ、せっかく整番早いから前行っちゃいましょう、先輩、予習にお渡ししたプレイリスト聞いてくれましたか、と手首をつかまれて、ぐいぐいと手を引かれるままにフロアを移動する。後輩が楽しそうでうれしい。前方下手のいい位置を取れても後輩がわたしから手を離さないことの意味とかを、用心深くありたいなら勘繰るべきなのだろう。でも人ごみで手をつなぐことが困るわけでもなく、いよいよ間違ったなあと感慨深くなるまではわたしのことも他人事だから、後輩との関係をコントロールする気も起きないのだった。まだ間違っていないから、この状況は別に正しい。

ライブにはよく行くけど、入場から開演までの時間への没入に失敗すると完全に別のことに思考を取られてしまうことがあって、今日はそれだった。後輩の話に相槌を打ちながら、浮気どころか恋愛もしたことがない可能性について考えた。わたしからすれば友人たちが入れかわり立ちかわり流れていくことを取っ替え引っ替えと指差す人もいて、外側から規定されるモテるわたしの恩恵をわたしは受けていない気がした。人間の区別があんまりついていないのかもしれない。目の前の後輩の笑顔を独占することに代替不能な喜びを感じる人間もいるんじゃないか。

後輩がくれた予習プレイリストはよくできていて、半分以上の曲がわかるやつで助かった。ビジュアルの系統がバラバラな3人ユニットを、レーザービームの照明がひとつに纏める。3人でひとつの名前を名乗る必要性がここにはあって、暗転の向こう側に残る決めのポーズがそれはそれは美しかった。

MCがないタイプのガチなダンスユニットかと思ったけどそうでもなくて、前半パートを終えたところで空気が弛緩して3人が喋り出す。

「今日初めてふゆたちを見るよ〜ってひと〜?」

アイドル恒例のMCに乗っかって緑のペンライトを振る。ステージから視認できるすべてのペンライトに反応しているであろう彼女のリアクションに、それがアイドルの仕事なのだとわかっていてもどきっとしてしまう。

大盛り上がりのOverdrive Emotionの、間奏だった。それまでも何度か目が合ったような気はしていたけど、その間奏で彼女は間違いなくわたしを見つめていて、一人の新規へのファンサービスとしては長すぎやしないか心配になるほどの見つめ合いの後、ばちんと音がしそうなウインクを残してダンスに戻っていった。何が起きたのかわからなくて、他のファンの反感を買っていないか周りを見渡したけど、みんなステージに夢中で誰もわたしを見ていなかった。自分の視線を彼女の視線に掴まれた感覚が、時間の流れをおかしくさせたのかもしれない。

高まりに高まったライブの終演はあっけなくて、客電がついたフロアはただの人間たちの集まりだった。高揚を隠さずに、しかしわたしの手をしっかりと握ったまま外に出ようとする後輩を見る。わたしはこの後輩と目を合わせたことがあっただろうか。これまでわたしの前を去ったなんの口約束もしていない人間たちがわたしをどんな視線で見ていたのか向き合わないまま、区別のつかない友人たちをまとめて愛していたつもりになっていたのだと、彼女と、ふゆと絡まった視線が答え合わせのように反響する。

先輩、この後どうしますか、ライブ良すぎましたね、話したいことたくさんあるんです、終電何時ですか、このへんならあの、泊まるところには困らないんじゃないかなって、

後輩の手がわたしの腕に絡まる。これまで何度も向けられてきた好意を正面から感じようとしたらあまりにも重たくて、これを拒まずにいられたのは受け止めていたからではなく受け流していたからなのだと気づく。

人間からの好意と視線を瞳で受け止めて、しかもそれを逆に搦め捕ろうとするステージでの振る舞いがどれほど強かな意味を持っていたのかが手繰り寄せるようにわかって、後輩の手をそっとほどく。どうせ間違うなら今でもいいはずだ。来る好意を拒まないからって、わたしはまったく優しいわけじゃなかった。

誰かを好きになることが何かを奪われることだなんて、ふゆに視線を奪われるまで知らなかった。そりゃみんな怒っていなくなるはずだ。せめてもの償いとして目の前にいる後輩に「ごめん、好きな人できたから」と宣言して、その言い慣れなさに笑いながら帰った。これを酒の肴にするには、たぶんまだ時間がかかる。

ガチ恋つらい

ガチ恋なんて正気に戻ったら負けで最後まで立ってた奴の勝ちだ。絶対に叶わない恋に0.1%の希望を見出し続けること、将来が怖くなって手の届く範囲にある保険の恋愛に妥協しないこと。負けていった同担のことを今でも少し思い出す。

 

咲耶が二十歳になった。デビュー当時、まだ軽率に握手会ができる規模だったアンティーカの現場でガチ恋営業をかけられて(のちにそれが営業ではなく咲耶の素だとわかったのだけど)、そこからもう2年ずっとわたしの片思い相手は咲耶だ。いよいよ二十代の最終盤に差し掛かって、同級生たちのLINEアイコンはどんどんウエディングドレス姿や赤ちゃんの写真になっていく。あちら側が正しい世界だと言われている気がしなくもない。でもわたしの人生のどこにもあちら側に行ける道はなくて、行きたいとも思わない。

思わない、と現実の会話で思わず口にしたら、たいして仲のいいわけでもない職場の同僚に強がらなくてもいいのにと言われてめちゃくちゃ後悔したことがある。多様性だなんだとこんなに喧伝されるようになった世間でも、大多数の人間はいまだにアラサーの女は当然結婚願望があるのが大前提で会話を進めようとしてくる。

結婚願望自体はある。咲耶に対してだけ。結婚という制度を使っても使わなくてもいいけど、咲耶の唯一の存在になれたらどんなにいいだろうと思うことはもちろんある。でもそれは同僚がそうしたように結婚相談所に登録して収入の安定した男性とマッチングして解決する問題じゃなくて、咲耶と結婚できないなら結婚なんてする必要がない。

好きな人としか結婚したくないと思うことがそんなにおかしいことですか、と反論する気力はとてもじゃないけど起きなかった。同僚が必死で手繰った同僚の人生をわたしが理解できないのと同じように、いくら説明したところでわたしが今必死で生きているわたしの人生を理解してもらったり歩み寄ったりする余地はたぶん絶対になかった。

ガチ恋オタクに許される行動コマンドは少ない。可能な限り多くの現場に通うこと、定期的に同じデザインの便箋で手紙を書いて筆跡ごと覚えてもらう努力をすること、課金で握手できるなら限界まで課金をすること。たくさんいるファンの名前のない一人ではなく、特別なネームドファンとして認識してもらうためにできることを、引かれないように、だけど埋もれないように、少しずつ積み重ねていくしかない。

咲耶がわたしを好きになってくれるはずがない、というのは、普通に落ち込む事実として認識している。芸能界にいて、メンバーとも良い関係を築けていそうで、もし咲耶がパートナーを必要としたとしてもその選択肢にわたしが入ることはきっとない。ないけど、高嶺の花への片思いなんて相手がアイドルでなくたってこんなものだろう。いくら落ち込んだところで、咲耶へのガチ恋をやめる理由には到底ならない。

1年くらい前までは咲耶へのガチ恋仲間がいた。ツイッターでつながって、幸いお互い同担拒否ではなかったから現場にも一緒に行って、たまたま同い年だったのもあってまあまあ仲良くしていた。けど、しきりに自分の年齢を気にしていた彼女は現場で出会ったこがたんのオタクとあっさり付き合ってあっさり結婚していった。おめでとうと言ってみたはいいものの、咲耶の話をしづらくなってなんとなく疎遠になった。もう最前狙いをする必要がなくなったのか、現場で顔を合わせることもなくなった。あなたの言うガチ恋ってなんだったの、と問いたい気持ちがないわけではないけど、わたしと二人で咲耶が好きすぎて辛がっていた時間だって別に嘘ではなかったのだろう。ただあの子は現実に唆されて正気に戻ってしまっただけなのだ。

 

咲耶、二十歳おめでとう、振袖超きれい」

「こうやって振袖を着てみんなと思い出を残せるのも、デビューから応援してくれたきみのおかげだよ。私の人生の節目を一緒に過ごしてくれて本当にありがとう」

白瀬咲耶成人式記念・振袖ツーショチェキ会という二度はないイベントも、すごい倍率だったけど無事に参加券を得ることができた。振袖を着た咲耶と一緒に過ごすことができるのは咲耶がアイドルをやってくれるからであることと、咲耶がアイドルだから咲耶とわたしはアイドルとファン以上の関係にはなれないことを、咲耶の言葉で同時に痛感する。

咲耶、好き」

「うん、これ以上ないくらい知っているよ」

「これからも好きでいていい?」

「それは私の許可が必要なことかい? きみの尊い気持ちを受け取らせてもらえることに私の方が感謝しなくてはならないほどなのに」

「いいよって言ってほしいんだよ」

「フフ、かわいいのだから。私のこと、これからも好きでいてほしいな」

どれほど見ても新鮮に美しくて一度も見飽きたことのない咲耶の顔を、またじっと見る。喉の奥で言いたい言葉が渋滞して、あと5秒くらい余裕があったはずなのにうなずくことしかできなかった。

わたしの人生の責任はわたしが引き受けるから、まだ咲耶に恋をしていたい。わたしを唆す現実の声は、咲耶のたった一言の許可で聞こえなくなった。世界一美しい振袖姿の咲耶ととびきりのデート服でおしゃれしたわたしのツーショットを、LINEの新しいアイコンに設定した。

ショコラティック・ホリック

チョコレート以外の食べ物が受け付けられなくなるタイミングがあって、その時は諦めてドンキの地下の食品売り場に行く。お菓子の棚の、ファミリーサイズのチョコレートと準チョコレートに分類されるものを全種類カゴに入れる。

これから家に友達が来てパーティーでもするような顔でお会計を済ませて、誰も待っていないアパートに帰って袋を開けて個包装を剥いて口に運び続ける。スリーコインズで買った小さなゴミ箱がチョコの包み紙で溢れそうになる時、やっと我にかえる。

チョコレート以外の食べ物は食べられなくなるから、何度こうなっても太らない。肌は荒れる。拒食でも過食でもないから病院には行っていないけど、どこかしかるべきところに相談したらなにかこの状態には名前がつくんだろうか。

チョコはどれだけ食べてもずっと甘くて、舌が慣れきることがない。脳が甘さを感じるのに飽きても、舌が甘さを感じ続ける。そこに好きとか嫌いとかは介在しなくて、ただ甘いという事実が目の前のチョコがなくなるまで続く。ほかのなにも食べられないけどカロリーはきちんと摂っているのだから身体は動くはずだと信じ込ませてくれて、キッチンに立たなくても食べられて、食べている間は甘さ以外の思考が脳から締め出されるから、この状態になったときに食べられる最後の選択肢がチョコレートになったのだと思う。

「この状態」が何を指すのかはよくわからなくて、病んでいるという括りに入れてもらうのもなんだか申し訳なくて、大学の授業や遊びに誘われた時はきちんと振る舞えるし、ただたまに食事という最低限生きるための行為がチョコレート以外に対してできなくなるだけだ。友達の誕生日のためにおいしそうなダイニングバーを見繕うことはできても、自分の一食のためにはインスタントラーメンすら茹でられない。

 

ゼミの飲み会で「ずっとチョコばっか食べちゃうんだよね」と言ったのは思い返してみると誰かにそれはおかしいよと言ってほしかったからのような気がして、だけど返ってきたのは「え〜わたしも〜!今度一緒にすっごいかわいいチョコ置いてるパティスリー行こ!」というきらきらしたかわいい同期からの誘いだった。

この子はドンキホーテの地下でチョコを漁ったりしないんだろう。ちょっと高くて繊細な見た目をして、しっかりした箱に守られたチョコが好きなんだろう。リボンの柄のジェルネイルに包まれた指先がその子のiPhoneを撫でて、あっという間に表参道のチョコレート専門店に行く約束が出来上がる。

 

高いチョコも別に好きだ。よくチョコを食べていると人からもらうプレゼントがだいたいチョコになる。ゴディバのアソート、ロイズの生チョコ、ヨックモックのチョコシガール。もらって家に帰ったそばから口に入れる。おいしいとは思うし、300円で山ほど買えるような普段食べているチョコとは格が違うのもさすがにわかるけど、健康な食事の代用品にしている後ろめたさが苦い甘さとして舌の上に残る。

表参道駅で待ち合わせた同期はQ-potのチョコレートネックレスを揚々とつけていて、この子の今日の目的はチョコを口に詰め込むことではないのだと思った。わたしはどうだろう。今日を楽しみにしていたことを同期に告げて、だけど何をしにここへ来たのか少しわからなかった。

やや混んだ店内で10分くらい待って、パティスリー併設のカフェスペースに通される。チョコレートパフェ、ホットチョコレート、生チョコケーキ。選び放題なのに自分がどれを食べたいのかよくわからなくて、たくさんあって選べないよ、と困ったふりをして同期に決めてもらう。フォンダンショコラになった。

口に運ぶと、甘い。甘くて、何も食べたくないけどお腹が空いたという後ろ向きな食欲がまぎれる。おいしいと感じる以前に脳の余白が甘さで塗りつぶされることの安心のためにチョコを食べるのだと、チョコを食べるごとに思い出す。

同期は絶妙なバランスでチョコの薄い板が刺さったパフェをひとしきり撮った後、宝物に触れるみたいに細いスプーンで上から削いでいく。うれしそうで、羨ましかった。

逃避先にチョコを選んでいることが同期と相対的に浮き彫りになって、怖くなって慌てて紅茶で口の中を洗う。こんないいお店どうやって見つけたの、と、繋ぎの会話が洗われた口をついて出る。

「あのね、好きなアイドルの子がYouTubeで紹介してたんだ。チョコアイドルの子でね、知ってるかな、布教していい?」

パフェを掘り進めながら、同期はiPhoneを横画面にしてワイヤレスイヤホンを片方渡してくる。

「えへへ、ちょっと行儀悪いけどパフェ溶けちゃうし動画見てほしいから許して」

『チョコアイドル園田智代子のとっておき紹介!今回は表参道にあるパティスリーのチョコタブレットをお持ち帰りしてきました!』

同期の照れ笑いに動画の導入がかぶさる。お団子頭に見覚えがある気がした。Googleの検索履歴から察されたのだろうあなたへのおすすめ欄に出てきたサムネをたぶん見たことがある。

『チョコハンター智代子の名店探訪ももう20回になるらしいです!チョコマニアとしてはまだまだ駆け出しですが、いつか世界中のチョコを制覇するチョコレートクイーンになるための修行が積めているのではないでしょうか…!』

さっきから何回チョコ好きの肩書き変えるんだよ、と画面の外からの音声が入る。ちょっと樹里ちゃん!というテロップもしっかり入るあたり、単なる撮影スタッフのノイズではないのだろう。

チョコタブレットをかじる智代子ちゃんという子は、普通なかなか美しくなりきらないであろう咀嚼中の顔すらかわいかった。小動物的なんていうありきたりな表現が黙るくらいに。

「ね、ね、今ちょこちゃんが食べてるのがここのお店のなんだ、このタブレットも帰りに絶対買って帰ろう」

小動物みたいな同期が目に力を入れて言う。そうだね、わたしフルーツが入ったやつがいいな、と返事をしてイヤホンを返しながら、暗転する直前のiPhoneの画面から目を離せないでいた。

 

お上品で分厚い紙でできたショッパーを膝に乗せて千代田線に座る。電車が反対方向だった同期にLINEで頼んで、さっき見た動画のリンクをもらう。「もしかして布教できた!?うれしい🙏🙏🙏」の文面とともに飛んできた動画の、さっき途切れたところあたりから再生する。

そこから一分間、目を閉じたりほっぺに手を当てたり立ち上がったり座ったりしながらチョコを味わう智代子ちゃんがただ無音で映っていた。わたしが普段食べないと動けないから、目の前にあるからという理由で食べているものと同じ種類のものを食べているとは思えない、めまぐるしく饒舌な表情だった。

Wikipediaを見たら、出来すぎていると思った名前は本名らしかった。だからといってキャラ付けのためにチョコを食べまくっているようにはとても見えなくて、智代子ちゃんが食べているチョコレートがおいしそうに見えて仕方なかった。

フォンダンショコラを食べたばかりなのにお腹が空いて、膝に抱えたチョコタブレットのことを思い出して、もしかしたら今、初めてチョコを食べたいと思ったかもしれない。

まつり姫は幸せに暮らしましたとさ(めでたし、めでたし?)ーサブカル文学論期末レポート

学籍No.xxxxxxx

文学部日本文学専攻 ■■ ■■

サブカル文学論期末レポート

「まつり姫は幸せに暮らしましたとさ(めでたし、めでたし?)」

 

 

  • Ⅰ,徳川まつりとはなんだったのか――徳川まつりとは現象だった/幻想だった

 先月卒業公演を終え、芸能界からも完全に引退した、元765プロ所属のアイドル、徳川まつり。彼女の各SNSアカウントは卒業公演当日の23:59をもってすべて削除され、アイドル・徳川まつりのことばが発信されることはなくなった。

 

 2000人規模のホールでの卒業公演を即日完売にするほどの人気を誇った徳川まつりは、テレビや雑誌、各インターネットメディアでもたびたび注目を集めていた。デビュー当初こそいわゆる「イロモノ」的な扱いを受けていたこともある(独特の喋り方や世界観、「姫」を自称する等が原因だったと思われる)が、その一般的に見れば「ぶっ飛んでいる」キャラクターでの振る舞いが話題を呼び、また、どんな無茶な状況下でも「姫」であることを崩さない姿勢がプロ意識と評価されたりもした。徳川まつりは次第に司会者クラスの芸人や大御所タレントにまで「まつり姫」と呼ばれだし、その「ふわふわきゅーと」なキャラクターも徳川まつりそのものとして世間に浸透した。徳川まつりは「姫」である、という意識を誰もが内在化したのである。(初期はごく少数のアンチも存在したが、アンチスレでの徳川まつりを指すことばが「オヒメサマ」だったことからも、彼女への好感の多寡にかかわらず徳川まつり=姫という意識の内在化がうかがえる。※当該アンチスレは現在削除済み)

 

 徳川まつりのファンは、上述のような徳川まつりの一貫した「まつり姫というアイドル」の姿勢を目の当たりにしており、その「等身大の女の子」とはどこかずれた偶像に、しかし疑問を挟む余地はなかった。どれほど「キャラ作りではないか」「電波系不思議ちゃんアイドル」と悪意ある外野に言われたところで、「眼前のアイドル・徳川まつりは(たとえ幻想であったとしても)絶対に本物である」というメタ的な信頼のほうが圧倒的に勝っていた。

 

 卒業公演の一夜にして徳川まつりというアイドルは姿を消し、それまでファンが徳川まつりに向けていたリプライは宛所不明のツイートとして残った。一部の熱心なファンは、存在しないアカウントとなった徳川まつりのIDに、リプライという名のツイートを今も続けているという。

 

 

  • Ⅱ,誰も彼女の仮面を剥がせなかった――仮面など存在したのか?

 Ⅰで述べた通り、デビュー当初からその言動について「キャラ作り」と言われてきた徳川まつりだが、その「キャラ」が表立って崩壊したことは一度もない。

 

 特にバラエティ番組は、一時期徳川まつりのお姫様キャラをぶれさせることに必死になっていた。スポーツバラエティ番組で汗だくのへとへとになる画を撮りたがったり(ルールすらよくわからないまま出場したというアイドル野球イベントで、徳川まつりは涼しい顔で「偶然」スーパープレイをやってのけた)、ずけずけものの本質を言う口の悪い芸人Aとトークさせたり(徳川まつりは何を言われても笑顔をひとつも崩さず、最終的に言い返されてタジタジになった芸人にマシュマロをプレゼントして自身の口癖である「わんだほー!」を(半ば強制的に)言わせる流れを作った)、テレビが/視聴者が期待したような徳川まつりの「人間性の露呈」は起きなかった。(なお、芸人AはのちにTwitterで「あれは台本の流れとは違ったが、台本より面白かったのでオンエアに乗った」という旨のツイートをしている)

 

 デビュー初期から中期に起きた上記のようなテレビ上での出来事から、露呈するような隠匿すべき人間性などそもそも徳川まつりには存在しないのではないか、という疑念が、ファンも非ファンも含む多くの観測者にこのタイミングで湧き起こったのではないかという推測が立つ。なぜなら、徳川まつりのアイドルキャリアの後期には、このようなキャラを試すようなバラエティでの流れがほぼなくなっているためである。つまり、徳川まつりの振る舞いや口調が現実離れした(つくりものとしての)キャラクターに見えることと、徳川まつりという偽らざる現実がそこにあること、この一見矛盾した光景を、――徳川まつり自身が受け入れてもらうために何かを変えたのではなく――観測者の側がみずから受け入れ始めたのである。裏がないなら表もなく、ただ「徳川まつり」を我々は見ているのだと、(仮に観測者には絶対に見えない場所に彼女の本質があったとしても)信じ、受容する方向に、見る側の心持ちを変質させたのだ。

 

 

  • Ⅲ,つくりものとほんものの間にあるもの――「お姫様」に「なる」という矛盾を飲み込むアイドル

 そもそもの話、「お姫様」という存在はディズニープリンセスや童話の主人公が一般的に真っ先に思いつくイメージであると考えられ、えてして「お姫様」とは生まれながらの立場を示す単語である。そのパブリックイメージを背負った「お姫様」を自ら名乗ってアイドルとして活動すること、生まれもっての立場ではないことを自明としながら後天的に「お姫様」に「なる」ということは、パブリックイメージに逆行する矛盾をはらんでいる。その矛盾が、徳川まつりは「キャラ」を演じており、キャラの後ろに本当の人間性があるのではないか、という観測者の疑念の根本にあるものだったのではないか。(Ⅱで述べた通り、徳川まつりはこの「キャラ」問題を突破し、「まつり姫」という存在を確立させたわけだが)

 

 いかなる場面でも「お姫様」であることを徹底していた徳川まつりだが、卒業公演の最後のMCで、「ありがとう、わたしと出会ってくれて」という言葉を発した。文章的にはごく普通に見えるかもしれないが、本レポートでも触れてきた通り「まつり姫」の口調は語尾が「なのです」であったり、一人称が「姫」「まつり」であったりと特徴的なものであり、「わたし」を自称したことは筆者の観測できる範囲では一度もなかった。最後のMCで現れた自らを「わたし」と呼ぶ彼女は、ファンがその日までに見てきた「まつり姫」だったのだろうか。最後の、本当に最後の感謝の言葉を嘘のないものにするために、徳川まつりはファンに対してはじめて一歩踏み込んでくれたのではないか。この一人称の変化すら、ファンがこうやって「最後に心をひらいてくれた」と思い、その後の徳川まつりの不在を慰めるための徳川まつり自身による計算だった、という見方もできるのかもしれないが、それで救われるファンがここに一人いるというだけで、それが計算だったか否かなど些末な問題である。

 

  • まとめ,おとぎ話の終わり方

 冒頭でも少し触れたように、徳川まつりの卒業から数週間経つ現在、削除された徳川まつりのTwitterアカウント(@matsuri_hime_nanodesu)への「リプライ」という形で、一部ファンがその喪失感を少しずつ言葉にするというムーブメントが起きている。もともとファン同士の自治意識が強い765プロファンの土壌もあってか、徳川まつりの引退を責めるような文言は一切なく、「姫のおはようツイートがないのは寂しいけど、姫に元気づけてもらった記憶は消えないし、これからもずっと心の支えです(@otsuru_hane)」「まつり姫が幸せで平穏な日々を過ごせるよう、ファンとして毎日願っているからね(@yoru_no_ko_domo)」等、アイドル・徳川まつりの永遠の不在を受け入れ、ファン自らの日々を歩むことの報告、アイドルでなくなった徳川まつりの幸福への祈りを示すものが多い。このムーブメントのツイート数は徳川まつりの卒業直後が最も多く、現在は頻度が落ち着いてきている。この「リプライ」活動を始めたアカウントの運用者にダイレクトメールで話を聞いてみると、「これは姫のおとぎ話のエピローグとして始めたんです」という返答があった。徹底的にフィクショナルなアイドルとして最後まで存在してくれた徳川まつりという存在・彼女のアイドル人生をひとつの「おとぎ話」と捉え、卒業公演という華々しいラストシーンを終えて姿を消した徳川まつりという物語において、ファンがそれぞれ自分のエピローグを記して物語を締めようとしているのだ、という。

「本当にただの自己満足で、まつり姫に届いているわけがないのはもちろんわかった上で、この「リプライ」を始めました。共感者が多くて、なんかそういう活動みたいになっちゃいましたけど、アイドルを失ったファンが生きていくために、個々がそれぞれ大好きな姫との「おはなし」を完結させているんだと思います」(DM原文ママ

 死別とはまた違う、だけどもう決して会えないことだけはわかるアイドルの卒業というファクターに、絶対的「お姫様」であった徳川まつりが持つ「おとぎ話性」が合わさり、アイドルの不在を納得するための「エピローグ」を必要とするファンが生まれたのだろう。「めでたし、めでたし」のあともおとぎ話の主人公の人生はストーリーの外で続いてくように、アイドルでなくなった徳川まつりの人生もどこか我々には観測できない場所で続いている。ファンはアイドルとしての徳川まつりが残したおとぎ話を何度も読み返し、新しいストーリーが追加されない寂しさに耐えられなくなったら140字以内のエピローグを書きに戻り、主人公のお姫様の幸せを祈る。だから、徳川まつりはアイドルでなくなった今も、まだお姫様ではあるのだろう。

「アイカツ!」実写化に際して藤堂ユリカのオタクが思うこと

藤堂ユリカ様を信じられていなかったのは私の方だったのかもしれない。

 

アイカツ!無印が実写映画化される告知が出たその日、私は泣いた。恐ろしすぎて。ユリカ様はあのアニメの中にこそ存在していて、三次元、しかも吸血鬼でもなんでもない人間にユリカ様の演技なんて、できるわけがない。ユリカ様の気高さは混じりけがなくて、自分が信じた吸血鬼としての藤堂ユリカ像を自分を装置として再生する姿は、誰かがーーしかも三次元の、生身の人間が、真似をしようと思ってできるものではないのだ。アイカツプラネットみたいに実写前提ならともかく、よりによって無印。

オタクの友人が自ジャンルの実写化を見て「思ってたより全然よかった」とか「監督原作読んだんか?」とかいろいろ言っているのを、これまでも横目では見てきた。だけどまさか、アイカツ!の番が来るなんて思ってもいなかった。なぜか自分が好きなコンテンツは実写化不可侵の聖域だと思っていたけど、全然そんなことなかった。

キャスティングもなんとなく名前を聞いたことがあるような気がするくらいのアイドル?タレント?で、この子はちゃんとユリカ様を理解できるのだろうか、ただ顔がかわいいだけで、話題性があるというだけで配役されたのではないだろうか、とずっと不安だった。

映画公開前に少しずつ解禁されていく情報は、怖くて薄目でしか見られなかった。実写映画だって立派な公式情報なのはわかっていても、何かとんでもない解釈違いの地雷を踏みぬいてこられる妄想ばかりしてしまう。(それでもモノを集めるタイプのオタクの性でアイカツカード付きのムビチケだけは買った。)

どんな出来だったとしても公式がGOサインを出したユリカ様の情報が増えるのだから見ておくべきVS実写化したユリカ様はユリカ様以外のノイズが混じりそうで嫌だ、のせめぎあいのまま公開日を迎えて、封切り直後に見るなんて芸当はとてもできなかった。開封もできていないままのムビチケはこのままコレクションボックスで眠っていてもらおうかと思っていたとき、Discordの通知が鳴った。

『見た方がいいよ』

オタク仲間の友人からの、主語も目的語もないメッセージだった。実写化をさんざん不安がる私の代わりに見てきてほしいという懇願を、アニメのあかりジェネレーションあたりまでしか見ていないのに聞き入れてくれた友人の、たった一言のメッセージ。これ以上ためらいたくなくて、当日夜の回の残り少ない空席に予約を滑り込ませた。

 

***

映画館を出て最初にしたことは、エンドロールで覚えたユリカ様役の人の名前の検索だった。

【映画「アイカツ!」キャストインタビュー】アイドル・神崎蘭子が想う”藤堂ユリカというアイドル”

検索結果の上の方に出てきた記事を読む。

『彼の吸血鬼の末裔のペルソナを与えられんとしたとき、我の内なる炎は更にその熱を上げた。我が偶像として生きる術は、彼の者から天啓を受けた部分も数多ある。(藤堂ユリカ役が決まった時、すっごくうれしかったです! 「アイカツ!」はもともとアニメを見ていて、アイドルとして参考にもさせてもらっていました。)』

なんか文字数の多い変な記事だったけど、ちゃんとユリカ様のことを大好きな人がユリカ様に近づこうとしてくれたことはわかった。

実写で安っぽいウイッグにされるのではないかと心配していたユリカ様の縦ロールは、神崎蘭子さんの地毛で寸分たがわず再現されていた。ユリカ様が外で日傘をさしているシーンで肌に日光が当たるカットが1ミリもなかったのは、神崎さんの申し出によって実現されたこだわりだったらしい。ロリゴシックのドレスがアイカツカードからそのまま抜け出てきたようなクオリティだったことに、神崎さんは飛びあがって喜んだと、インタビュー記事には書かれていた。スペシャルアピールの撮影は本当にトランポリンを使ったらしい。

結局、映画は全編通して私が心配していたようなことは何一つ起こらず、私が大好きなユリカ様はユリカ様のままスクリーンにいてくれていた。むしろ、アニメの作画だけではわからなかった睫毛や肌の質感も、二次元で理想化された体型でしか着こなせないと思っていたスターライト学園の制服が似合う三次元の人間がいるという気づきも、この子がユリカ様を演じてくれたから得られたものだった。

かんざき、らんこさん、と声に出してみる。ずっとアニメのオタクをやってきたから、自分と同じ次元に存在する人のことが気になるのは初めてだった。アニメやキャラクターを”解釈”する推し方しか知らなかったけど、神崎さんは私が”解釈”なんかしなくてもそこに存在していて、まだよくわからないけど、それはとてもすごいことのような気がした。

『見た。よかった。ありがとう』

Discordに返信を打ち込む。ユリカ様を好きな人がユリカ様をやってくれたことがふつふつとうれしくなってきて、SHINING LINE*を聞きながら帰ることにした。